新社会人のためのウォッチリスト
熱意を抱いて社会に出たわけじゃない。学校の卒業に向けて、やりたい仕事が見つかる前に就職先が決まった。目標は仕事一筋の人間にならないこと。
数年前、私はそういう新社会人だった。
週に5日、1日に8時間は拘束される生活は最初が1番きつい。この時期を乗り切るために忘れてはいけないことは、努力や根気よりも理由だ。働く理由は御守りになる。
このウォッチリストは有り体に言って働きたくない新社会人に向いていると思う。決してがんばれとは言わないから、自分の生活と人生を過ごすことを諦めないで、理由を持って働きたいね、というスタンスで。
有名なお仕事映画はあんまり入っていない。だからぜひ、まずは映画鑑賞として楽しむ気持ちでリストを眺めてみてほしい。じっくり選んだら、自分の御守りとする物語と理由を持ち帰れるように。
1. プーと大人になった僕(2018)
検索エンジンによっては、タイトルと同時に「働きたくない」というワードが提案される映画だ。この記事より先にその事実に出会った人もいるかもしれない。
子供の頃、誰もの友達だったぬいぐるみの口から繰り出される現代社会に向けた素朴な疑問の数々にみんなで心をえぐられよう。あれ、私たちが暮らす社会ってこんなに冷たいんだっけ? と不安になること請け合いだ。
でもそれはちょっと早計な見方で、ここで語られる働く理由である「大切なもの」を見失っているからそう見えるだけ、という仕組み。家族と健やかに楽しく生活するために働いているのに、働くことに忙しくして家族との時間が取れなくなっては本末転倒なんだ。
週末の家族旅行を仕事でドタキャンした主人公の妻のセリフだ。もしかしたら忘れがちかもしれないけど、どんな人生も今の瞬間の積み重ねであって、今後の過ごし方を熟考した後に本番の人生が改めて始まったりしない。
大切なものの価値観は人それぞれだけど、目的と手段を履き違えちゃダメだということを断固とした態度で伝えてくれるのがこの作品だと思う。主人公が勤める会社のことをズオウ(プーさんたちの空想の怪物)呼ばわりしたり、ズルい上司を指さして「ヒイタチ(同上)だ!」と言ったり、思ったより率直に働く意欲を削いでくれる。
2. ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期(2016)
王道ロマンティックコメディ、ブリジット・ジョーンズの日記シリーズの3作目。主人公は恋愛したいけど長らくしていない40代の女性。結ばれなかった彼のことを思い出にして、運命の人を待つことを諦める。
こう書くとなんだかさみしい感じがしなくもない。実際、作中でも開幕早々しきりに「惨めだ」と嘆く主人公を見ているとそんな気がしてくる。
でも彼女のキャリアは順調そのもの。競争の激しい放送業界にいてテレビ局の敏腕プロデューサーで、生放送のニュース番組を取り仕切っている。住んでいる場所は職場の近くの治安の良いところで、部屋も決して狭くない。
つまり、彼女が自分の人生を「惨めだ」と嘆いているのはただ一点、友達がみんな持っているような憧れの円満な家庭を持っていないから。でもそれって、強く求めているから劣等感を抱いているだけで、彼女自身は紛れもなく自立した立派な大人だ。
作中に様々な事情で主人公は仕事を辞めてしまう。時代の流れを受け入れようと主義に反した仕事に真面目に取り組んだあと、自分の倫理に照らしてやはり違うと感じて辞めることを決める。
このときに主人公が言うセリフは、1作目の頃から貫いてきた信念だと思う。彼女は誠実さを隠さないからみんなに愛されてきたのだ。
3. きっと、うまくいく(2009)
これは学ぶ人、学生向けにおすすめされがちな映画だけど、社会人にとっても大きな示唆が含まれている。
そんなこと言われたって、こっちはそもそも働きたくないってのに。
そういうときはこっちのセリフにしよう。
続けられない仕事を続けるべきじゃない。安定した人生よりほしいものがあるなら定職に就くよりもすべきことがある。
でも就職しちゃったものはしちゃったのだ。早々に転職を勧めるわけじゃない。これは自分の咲くべき場所を職場にせず、自分の生活の、好きなことの、向いているフィールドで咲いてやろうという提案だ。
何もみんなで競って蹴落とし合って華々しいキャリアを目指さなくたっていい。そこそこで細切れに仕事をして思いっきり充実した休暇を取る選択肢もあるし、仕事をしていることはやりたいことを諦める理由にはならない。
学費を払う金銭的な余裕がなくても制服を買えば授業に潜り込めるように。咲きたい場所で咲くために自分の身を置く場所も自分で選べばいいという話だ。
4. カーズ(2006)
この作品のメッセージは単純明快だ。生き急ぐのをやめて、ゆっくりと楽しみながら生きよう。
主人公が恋したポルシェがまとまった結論を出している。
文字通りの「車社会」という設定に皮肉が効いている。主人公は将来を熱望される若きレーシングカーだ。速く走るために生まれてきた。速く走って勝つことが彼の存在意義で、自分みたいに速く走れない車を見下していて、速さにこだわらない生き方は負けだと思っていた。
そんな折、彼はハイウェイの通らない町、時間から取り残された古さの残る土地で、のんびりと生きる車たちに出会う。住人達は着飾った車体(ペイント)に誇りを持って、オーガニックなドリンク(ガソリン)にこだわり、一瞬一瞬を引き延ばして感じるためにドライブをして暮らしていた。
主人公にとっては冗談みたいで想像もできなかった生き方だけど、彼らは幸せそうだった。極めつけに、親友と呼べるほど仲良くなった車は得意の背走を披露して後ろ向きにクルクル回りながらこう言う。
あ、前って見えなくてもいいんだ。自分のいた場所はわかる。今の自分が何者かなんて、就活の準備で嫌と言うほど思い知らされたし。
そう思ってちょっと心が軽くなった経験が宝物になるかもしれない。
5. ザ・メニュー(2022)
すべての人間を2種類に分ける方法がひとつある。他人を使う側か、他人に使われる側か。
ここから先は新社会人は基本的に使われる側であるという前提で話すけど、別に使われる側であることは悪いことじゃない。誰かを喜ばせるのは尊いことだし、喜びを感じられる。これが好きなら他人に仕える仕事は天職になるかもしれない。
つまり、これこそ働く理由を忘れないで働いていたいね、という話だ。
倫理観が終わっているシェフの独裁国家みたいなレストランで最後の晩餐をいただく。招待された客たちは自分が使う側の人間であることを疑わない。唯一招待されていなかった主人公の女性以外は。
シェフは主人公に問う。使う側なのか、それとも使われる側なのかと。
彼も彼女も、レストランで働く人間も。みんな最初は誰かに仕えることに満足していたはずだ。または嫌々ながらも仕事としての行動だったかもしれないけど、仕事として見返りがあれば耐えられる程度の苦痛だった。
それなのに、絶望させられた。使われることに疲れたのではなく、使う側の人間の傲慢さに愛想が尽きたからだ。彼ら使われる側の人間は、使う側の人間のせいで他人を喜ばせることの喜びを奪われた。
誰でも復讐されない程度の謙虚さを持って仕事するべきだ。そして、復讐しなくても済む程度に取り戻しのつく姿勢で仕事に望む態度も。
あとがき
とはいえ、仕事に価値を見出すことは素晴らしいことだと思う。実感は伴わなくてもいいし、そういう生き方を目指すかどうかは働いてみて仕事が気に入ったときに考えればいいけど、仕事ってそんなに悪くないなと思えるかもしれないから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?