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独身おじさんだった私が、お父さんになった世界線の話

41歳で結婚→翌年息子ができて今に至る、わたくし的「そして父になる」話。

元々は「絶対結婚なんて出来ない」と思っていました。スキンヘッド(薄毛からの頭髪を断捨離)の40代男性などは、一般的な結婚対象にはなり得ないと思ってましたし。後にも先にも、私を拾ってくれた奥さんには、本当に感謝です。

大学卒業して新卒で入社して以来ずっとお仕事させていただいてた前職のイベント関連会社では、週末を中心にその前後も含めて出張となり、ほどんど家にいない「旅がらす」のような生活でした。
月一回あるかないかの「完全オフの1日」に、いかに美味しいお酒と料理を楽しむか、が日々のモチベーションの全てでした。
「家庭・家族」「連休」というカードはないが、その分「ひとりの自由を謳歌する」というカードはとても大切に持ち続けていたんです。

しかしながら、40を手前に、そんな日々に、ある種の虚しさや不安を感じ始めました。優れた名作映画やラジオ番組を見たり聴いたり、大好きな書籍やレコードに囲まれる生活のその先の「自分の未来」が、はたして輝かしく見えなくなってきたのです。

そしてある日、今の奥様に出会い、ひょんなことから結婚させて頂くことになる。(ここはあっさりしてますが、でも、トントントンと話が決まりました。)翌年、息子が生まれる。色々と不安も大きかったが、夫婦二人で「未知の世界に飛び込む」ような感覚で、「えいっ!」てな感じで突き進みました。

結婚して、まずは経済的、時間的、空間的な制限が当然、生まれてきます。音楽を聴いたり本を読む時間も。捻出すればあるかもだけど、しなくなったです。見てるテレビプログラムは、おかあさんといっしょと、いないいないばあです。お酒もほぼ飲んでない。

共働きなので、台所にも当然立つ機会があり、家族の食生活や予算も考えた調理スキルが求められる。冷蔵庫の中の食材をいかにきれいに使い切るかのテクニックや知識の、高い壁を感じました。酒飲みのなんちゃって料理では、全く歯が立たない。。いまは、息子が私のこさえた鶏肉のナゲットを美味しそうに頬張る姿に、夫婦で心底喜んでます。

結婚前の私がこのことを知ったならば「わ。絶対に無理。だから焦って結婚なんか。」なんて言ってそうだが、いやいや、ここは「ダモ鈴木イズム」でして、ガラにもない環境に身を置いて七転八倒する刺激(ストレス?)は、何物にも変え難い。
(ダモ鈴木イズムについてはこちら↓)

これは本当に不思議なものですが、「自由度」と「幸福度(満足度)」は、また違う話なんだな、と。かつてはイコールくらいに思ってました。だけど、そうではない。いまは自由度は無い。では、不幸かといえば、そうではない。心配事はたくさんあるが、幸せだ。以前は自由度はマックスだったが、幸福度に関しては、今よりも確実に劣る。

「失うものなど、何ひとつ無い!と誇らしげに語るような馬鹿にならないように 守るべきものの為にすべてを捨てられる、馬鹿になろう」(野狐禅『泪橋』)ホントそれ。

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