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「むかしゃあ、良かった。」のか?いや、全くそんなことないですよ!な、話。

「always 三丁目の夕日」という、「昭和は良かった、良い時代だった」的な映画。シネマハスラーでは酷評だった記憶がある。この映画のことは抜きに、手放しに「昔は良かった、昭和は良かった」的な考えは、とても賛同できたものではないと思っている。

かつての昭和の日本は人情に厚くご近所付き合いもあり…みたいな部分はあったかもだけど、その頃には同時に「エグい冤罪事件」もあったし、出自や感染症など、本人にはどうしようもない理由で虐げられ迫害(隔離)されてた人々もいた。それらの人々の声は黙殺され、無視され、私を含む周りの人間も、目にしながら「まあ、仕方がないよね」と個々人の心の中で無きものに処理されていたのも事実。理不尽ないじめ、到底許されたものではない体罰もあった。

昭和の地方のコミュニティでは、敢えて体罰や差別を可視化して「ああはなりたく無い」的な見せしめを一般市民や子供達に行い、大人たちが子供に対して「ああはなるなよ」と吹聴したりもあったと思う。今思えば陰湿で残酷なやり方だ。と同時にコミュニティの秩序を守るために「見せしめ」はとても効果的に機能してたのだろう。

また、上記の見せしめ機能により「無視された存在や問題をスルーすることの習慣化」は、かつては国や自治体にとっても好都合だった。「それはあくまでコミュニティ内でも問題化されていない、些細なこと」と見なすことが出来たわけで。

現在と当時の決定的な違いは、あらゆる人たちの声無き声や惨状が、SNSを通じてコミュニティを超えて世界中に発信できるようになったこと。それにより、当時のコミュニティでは「是」だったこれらの「見せしめ行為」が「陰湿で、いびつで、気色の悪いこと」だと白日のものに晒された。被害者サイドからの発信もそうだし、加害者組織の一員からのリークや第三者の告発的な発信などなど含めて。

そして、それらがあらゆる人々の目の前に晒され意見され、「由々しき問題や解決すべき課題」とされまくった結果、現在、日本は「未解決問題山積み」な国になったという、笑えない冗談のもと、私も含めてみんな生きている。

結局、全ての問題を解決させるべき予算や人員が、到底不足している事が、もはや誰の目にも明らかになり始めているのが「今」なのではないか。お布団でいえば、圧倒的に面積が足りない、フェイスタオルくらいの面積の布切れで全身の暖をまかなおうとしているのだが、やはり、到底間に合うわけもなく。指先やつま先から冷えて細胞が壊死し始めている「かなりピンチな」状態なのかもしれない。。

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