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同性の方への恋心を認めるまで

私は今、同性に恋をしている。
そのことを認めるまでに、かなりの時間を要してしまった。

その子との繋がりは、もう10年程になる。
いつからだったのか、分からない。
知り合った当初から好きだったのかもしれない。
そろそろ向き合わなきゃと思い始めたのは、ここ2、3年のこと。

ずっと友人として好きだと思っていた。
今もそれらの好意と、完全に違うと言い切れるかというと正直自信はない。でも、私のこれまでの言動はどう考えても、明らかに恋する乙女ってやつだった思う。

「異性だったらよかったのに。
そしたら絶対好きになるし、その先(お付き合いや結婚)を考えられたのに。一緒にいられるのに。」

と、その子のことを思い浮かべながら考えていたことが幾度となくある。
ドラマや映画で描かれる恋愛を観て、思い浮かぶのはいつだってその子だった。

どこかへ出かけたり、お店に入って、その子の好きなものを見ると、これあげたら喜ぶかな?と考えてしまったけれど、重たいと思われたくなくて、止めた。

その子から送られてくる写真や、話の内容の中に、恋人なのか、友人なのか分からないけれど誰かと出かけてるような話を聞くと、嫉妬した。

荷物を持っていたら、持ってあげたかったし、
髪の毛とか触れたいと思ったりしたけれど、彼氏とかじゃないし、と思って自制した。

他の友人に対しては思わない、重たすぎる感情へのごまかしが効かなくなってきた頃、周囲では結婚などのお知らせが増えた。

焦りや不安もあったし、自分はどういう風に今後の人生考えているのか、恋愛や結婚、子ども、生活などを、いま一度、真剣に考えなければ…!と思ったのが、去年の11月のことだった。
その時の日記アプリには、こう記している。

〇〇ちゃんのこと(同性の友人のこと)が好きか、女の人が好きなのか、男の人が好きなのか、結婚したいと思うのか、思わないのか、恋愛感情をそもそも持つのか、持たないのか、他者に対しての性欲というのがあるのか。
考え、向き合いたい。
その結果がどうであれ、私は私を肯定したい。

日記を振り返ってみて、一番最初に具体的にその子の名前がある時点で、もう答え出てるじゃん…!と自分にツッコミを入れたい。

私はおそらく認めたくなかったんだ。

だって、もしも認めてしまったとしたら、私はその子との関係性を変えたいと願ってしまう。もっともっとって欲が出てしまう。告白や気持ちを伝えたいと思ってしまうかもしれない。大切すぎるこの人を失うことになることを想像したら、とてつもなく怖かった。

また、我が国ではまだ同性婚は認められていない。女性を好きになる、と分かったところで、私はどうするのだろう。
この先、結婚や子どもを持ちたいって気持ちはあるのだろうか。あるとしたら、苦しい道になることもあるかもしれない。それは、仮に本当に万が一の確率で相手の方と私の望む関係性になれたとして、その方とどんな未来があるんだろうか。

どうしてこうも、まどろっこしく、面倒なほどに考えてしまうんだろうか。考えすぎだと思う。まだ何も始まってないのに。
ただ自分が傷つきたくなかったくなかったのだと思う。

自分を知りたくて、いろんな場所に足を運んでは、自問自答した9ヵ月。

自分の気持ちを否定してた私は、まず、私は最初に、異性とのマッチングアプリを始めてみた。結婚相談所にも入会した。(行動力恐るべし!笑)
ただ、想像通りではあるけれど、拒否反応が出て早々に何もしないまま退会した。

その後は、アセクシャルやアロマンティックの人達が集まるイベント、オフ会に出かけた。
レズビアンバーや、同性とのマッチングアプリを始めてみたりど様々な人との交流、出会いの場にも足を運んだ。

そしてその度、自分に問いかける。どう思ったか、何を感じたか。
少しの違和感や拒否感、そういったものを逃さないように私の心に耳を傾けた。

様々な価値観、セクシュアリティの方々に出会った中で印象的な言葉がある。

「相手が異性だから同性だからとか、自分のセクシュアリティとか考えてないかな。自分は自分だし、好きな人が好き人。」

心底かっこいいー✨と思った。そういう風に生きられたら、最高なのに…と。

その言葉を聞いて、色々考えすぎず、もっと単純に素直に、私も私の気持ち認めてもいいかな、って思えた。認めたいと思えた。

「私同性が好きかもしれない」信頼できる友人にようやく話すことができた。

そんなこんなありながら、今は無事に(?)自分の同性への恋心を認めた私は、信頼のおける友人2人に話してみることにした。

「今、同性の人に恋しているんだよね」と。

2人とも少々驚きながらも、「いいんじゃない、素敵じゃない」と言ってくれた。それから恋バナをした。
嘘をつかなくていい、心から好きだと思う人の話を出来ることが嬉しかった。嘘をつかないでいい、恋バナって楽しんだなって思えた。

これからなんて分からないけれど、今はただ私は私を肯定する。

好きな人との関係性は、自分の気持ちを認めたところで何一つ変わらない。私が単に、恋心を自分で認めただけで、それをその子に伝えてはいない。

でも、認めなかった時と、認めてからでは大きく世界が変わって見えた。
彼女からのラインに頬がニヤけて嬉しいと思って、ニヤニヤしてもいいんだ。「すき」というこの感情を相手に、無造作にぶつけることさえしないのなら、自分だけなら、好きと思っていいんだ、そう思えた。
そう思うまでに、私はこの年齢までかかってしまった。

私は今、自分のセクシュアリティについて、デミロマンティック、デミセクシュアル、パンセクシャルと、自認している。一応。
一番それがしっくりくるからだ。

つまり、滅多に恋愛感情や他者の性的欲求を抱くことがないが、信頼関係が築かれている関係の人に対してのみ抱く。
また、その抱く相手に関しても、男性ないし女性等の性の区分に適合しない人々も含める。

これらは、あくまで今の私の現時点での自認であって、今後どう変化していくかは分らない。そもそも別に、決める必要もなければ、人に説明する必要もない。ただ、自分が自分を認めるために、私には知ることが必要だったってだけ。

別に流動していっていいし、「私は私」「好きな人が好きな人」
それで構わない。

何より、私が私に嘘をつかないでいる、今の状況が嬉しいのだ。
もう隠さなくていい。気づかないふりをしなくていい。

いつの日か、その子にも伝える日が来るんだろうか。
それがいいことなのか、私にはわからないし、怖いから、それについてはほんとに慎重に、大切に大事にしていきたい。

ただ、私は私の気持ちを全力で肯定する。


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