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エッセイ ~比較社会での心構えついて~

私達が生きる上で避けては通れない「比較」。
それは学校、職場、または家族、
組織に身を置くと必ずと言っていいほど存在します。
なぜなら社会自体が「競争」を燃料として
成長しようとするからです。

学校で言えば勉強や運動で優劣がつけられるでしょう。
頭が良かったり運動神経が良ければ
優越感に浸れたり、ストレスなく生活を送れるかもしれません。
しかし学校が終わっても競争はなくならないし、
長いスパンで見ると勝ち続けることは不可能に近い。
ゆえにある程度負けることがある=当たり前の事象だと
認識しておく必要があるように思います。

しかし第3者はこう言うかもしれません。
「なぜできないんだ」と。
勝つことが目的化してしまうと
負けることが許されない含みがでてきます。
勝ち続けることは不可能にもかかわらずです。

私も昔雇われ店長の仕事をしていた際には
売上がでず頭ごなしに怒られたものです。
結果が出ない者には人権がないかのようでした。
「身を切れ」と人件費を削減した分、
自分のサービス残業を促されもしましたね。
なぜこういうことが起こるかというと
結果に過敏になるがゆえに
内容の精査、フォーカス不足により
問題の核心は何なのかがずれてしまったこと。
だってね、いくら自分が無償で働いても
根本の解決にはならないじゃないですか。
それこそ勝つことへの強迫観念が導いているとも言えます。

私は競争自体は美しいものだと思います。
ただお互いを讃え合うことが土台としてなければ
その「場」自体がギスギスしたものになるでしょう。
結果は分かりやすいがゆえに目を向けやすい。
しかし大事なのはその道程であり哲学なのです。

勝ったときは素直に喜び、
負けた時は「負けた時にしか得られない経験」を
マイナスの感情抜きに受け止められるメンタリティーが重要だと、
様々な失敗を通じることで実感しているところです。

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