見出し画像

エッセイ~幸せの粒子~

ぼくは幸せに見本があるとは思えない。幸せはあなたの外にあるものじゃなくて、あなたの中に生まれる感動だから。
例え瞬間でも、自分がいまこの世界に存在していることに百パーセント満足する、それが幸せだと思う。 ~星空の谷川俊太郎質問箱より~


幸せとは何だろう?
誰もが要所要所で考えることだろうと思います。
あるいは探すことが人生といっても過言ではないかもしれない。
私もその一人です。

最近では「適応障害」になって仕事を休職し、
よりそういったことを考える時間ができました。
幸せになる=人生の指針とも言えます。
そして私の場合「好きな事をする」=幸せとも結び付けがちでした。
ざっくり間違いではないだろうけど、もう少し掘り下げてみましょう。

例えば私がギターの弾き語りをする際に幸せを感じるとしましょう。
①単純に歌っていて気持ちいい、身体的側面。
②心の中で抱えていた感情を表現する、精神的側面。
③歌やギターがうまくなりたい、向上的側面。
これに付随して、
④配信やライブなど人に見せたい、評価されたい、承認欲求。
等があると思います。

①~③は自己満足、自己評価、自己完結できます。
シンプルにこれだけを楽しめる時期が一番楽しいかも。
人は段々と自分に対してのハードルを上げていきますからね。
また同じことをしていても毎回ポジティブな感情になるとも限りません。
①の場合、喉の調子が悪かったりすると「気持ちいい」ではなく
思うようにならないもどかしさ等ネガティブな感情も出てきます。

④については少し複雑です。
他己評価が加わります。
発信したものを受け取った多人数がそこに何らかの価値を感じ、
継続してそのwin-win関係が保たれた状態が理想だと思います。
そうなればいいですが、必ずしもうまくいかないこともあります。
自分の中ではいいと思っていても、それが誰かにとって同じとは限りません。価値観は人それぞれ違うのですから。

まとめると「好きな事」をやるという事象の中には「幸せ」を感じるエッセンスは多数存在するが、相反してネガティブな事も内包している表裏一体。あくまで手段であり、最終的に自分がどう満足できるかにかかっているのではないでしょうか。

冒頭の一文でもある百パーセント満足する状態=「幸せ」とするならば、
その時々で波があるのは必然でそれ自体楽しめるかどうかな気もします。
言い換えると、1~99%にふくまれる小さな「幸せ」の粒子に自分で気付いてあげられると人生の豊かさみたいな物に出会えるのかもしれません。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?