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エッセイ~延滞料金からの思考~

やらかしてしまった。
昨日までに返さなければならなかったDVD、本を返し忘れてしまったです。
延滞料金は850円。
正直全くと言っていいほど無駄な支出です。
皆さんは返し忘れてしまった経験はありますか?
私は今回で2回目になります。

何をやってるんだと自分を責めながら清算しつつも、
人が失敗した事象に対してどのような思考に及ぶのか、
ということがぼんやり浮かんだので
今回はそれについて深掘りしていきたいと思います。

まず精神的分析としてざっくり挙げるとすれば
①失敗を引きずり、落ち込む
②失敗の原因を探り、改善を図る
③気にしない

私はというと①、②どちらも当てはまります。
ただ元来の性格的には大雑把な所があって
元々は③寄りだったような気がします。
言わば後天的に①、②のバランスが増えたということですね。

どれも一長一短あると思います。
①は短期的に見ればマイナス要素が強いですが、
嫌な事として記憶に刻まれる分、
次は回避しようと自己防衛が働きます。
②は環境整備することによる自己防衛、リスクヘッジ。
大事なのは原因のポイント、改善コストが適切かどうか。
そこがずれてしまうとただただ面倒なルールが増えるだけになります。
③は無敵ですね。
ただ自分一人ならいいですが、
これにより周りの人が迷惑してしまう可能性はあります。

皆さんはどれに当てはまりますか?
または④があれば教えて下さいね。

話を自分に戻しますと、
なぜ③寄りから①、②に変わったのでしょうか。
それは「生活」するにあたって「他人」に迷惑をかけてしまうことが、グレー寄りの「NG」だと学んでしまったからだと思います。
例えば子供の時、親であれば多少の迷惑をかけても
怒られることはあっても傷付けることはありませんでした(多分)。
それはまだ親と子供で対等性がないことや、
親密性により自然修復ができることが起因していると思います。

では「社会」との関りではどうでしょう。
自分が失敗したのに③のような振る舞いをしてしまったら、きっと周りは不愉快に思う事でしょう。前提として信頼関係が築けていれば別ですが、そうでない場合、失敗のケツを拭いているのに張本人は平気な顔をしていることに腹を立てるかもしれません。
ですので「申し訳ない」という気持ちだったり、一時的に庇護してもらう=下手(したて)に出ると、カバーする側も「仕方がない」となるのです。
また仕事において原因解明、改善は日常と言っていいと思いますし、よりスピード感が求められてきました。
そういう風に他者、組織と関わり合うことによって段々とカスタマイズされてきたのです。

人は失敗する生き物です。
いや、失敗を繰り返す生き物です。
①~③のエッセンスをどうバランスするか、
人によって色々な最適解がありそうな気がします。
どちらにせよ「失敗」自体に臆病にならないようにしたいです。

けれど借りたものは期日内に返しましょうね(自分へ)。



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