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リハビリ開始 手を取り戻せ!

好酸球性多発血管炎性肉芽種症 闘病記その10

入院から早くも3週間
1週間で帰るつもりが退院の気配は一切ない
誰も言わないからあえて聞くのも怖い
ほぼ毎日リエゾン先生が私の様子を見に来てくれるが
だいたい泣いている 今日は何で泣いてるの?と
いつも優しく話しを聞いてくれて 眠剤や精神的な薬の調整をしていただいた
出来なくて悔しくてとか 痛い とか
仲間が励ましてくれたとか 何かができて嬉しかったとか なんらかの理由でよく泣いていた
泣く事が最高のストレス解消だったから周りの目も気にせず我慢せず泣く事にしてました
ゆえに高級箱ティッシュが入院生活にとても役に立った

その頃いいアイテムを手に入れてちょっとした自由を
取り戻した
歩行器!
移動は看護師さんが車椅子を押してくれていたが
この歩行器登場でゆっくりだが自分で移動が可能になった 入院病棟から出て売店までお買い物にも行けるようになって、コロナで面会禁止だったから売店に行って来るという理由で抜け出し外来棟で数週間ぶりに家族と会う事もできた 

プレドニンのおかげで食欲満開で出された食事を残す事もほとんどなくなり、一気に体力は回復した
そしてリハビリが本格スタート
幼児の知育玩具的な物やビー玉を掴むとか
ストレッチとか

初日は何にも出来なくてびっくりした こんなに悔しい事はなかった そして酷くショックを受けた
ビー玉ひとつつまめないなんて、理解が追いつかない
食事やお風呂で手が不自由な事は理解していたが
リハビリプログラムはよく出来ていて、動かす機能がないと出来ない事になっている
「もどかしい」とはこういう事を言うのだろう
脳と手が全くリンクしないんです

神様がいるのなら随分と意地悪ですよ
私は舞台が大好き
収入の大半を舞台ミュージカルに費やしても罪悪感のないタイプで、そんな憧れの舞台の上で活躍する靴を作りたい!仕事は靴職人
手が使えないと完全終了です 

そして
人に恵まれ運に恵まれ
帝国劇場 シアターオーブと憧れの舞台に私の手掛けた靴が舞台の上で踊っている
そんなウソみたいな夢のまたその向こう側状態の夢を
叶えたばかりだったのに。

だから何が何でも手を取り戻す必要があった
絶望してる場合じゃなかった
それからリハビリに毎日のめり込み、
1日でも早く治したいというアドレナリンが出まくっていたのでしょう 
毎日リハビリの時間が来るのが待ち遠しいく
楽しくて仕方なかった
もちろん手は動かない でも楽しかった
最初の握力は
右手6 左手0(握力計持てず)
あれから10ヶ月以上経った今は
右手25 左手14
時間はかかるけどまだまだ行けるはず!