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「頑張れば誰かがみている」という幻想

だれもが「頑張ったけど誰も見てくれない」という虚しさに襲われるときがあると思う。

もう、なにもやる気が起きない、燃え尽きた、というときもある。

わかる。

だけど、みんな自分のことで精いっぱいで、基本、人のことまで見ている余裕などない。
(人を見るポジションの人は除く。仕事しろよ。)


ただ、自分が見ている。

必死で努力したことも、みじめな思いで耐えたことも、誰かに親切にしたことも。

それは決して無駄ではないはずだ。
きれいごとではなく。

なんかオードリーの若林もおなじようなことを言っていた気がする。(うろ覚え)


誰かのためじゃなく、自分のために頑張ったほうが、私は生きていきやすいなと思う。

他人や世の中に、過度な期待はしない。



そして、自分はほかの誰かに「ちゃんと見ているよ」と伝えているだろうか。

誰かに助けてもらったこと、気づかってもらったこと、見落としてないだろうか。

ちょっとしたことでもいいから「いいな」と思ったことは口にしているだろうか。

相手にちゃんと伝わっていなければ意味がない。

一度、振り返ってみるといいと思う。

ほんとうに世の中理不尽なことばかりだけど、
「報われない」と感じていそうな人には、自分からちゃんと声をかけていきたいと思う。

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