がんばると幸せフラグが立つらしい。
ここ数カ月、私は『頑張る』意義を見失っていた。
頑張るって何
頑張って何が残るの
もう、頑張りたくない!!!
そんな感じで、私はやらなければならない事が山積みになっている自分の現状に嫌気がさし、半分以上ヤケになっていた。
いうならば、大人版のイヤイヤ期になっていたんである。
そんな中、かねてよりお付き合いしていた恋人と交際記念日を迎えた。
プレゼントは買った物だと相手に気を遣わせてしまうからという理由で、手紙にしようという事になった。
そして記念日当日、お互い書いた手紙をこうかんこする。
彼からの手紙には、交際を始めて今日まで色んな事があったね的な事が書いてあった。
記念日を迎えるまで、彼は電話越しで「なんて書いたらいいか分からない」と手紙を書く事に対する苦手意識をずっと私にもらしていたわりに、手紙にはエモい内容が書き綴られてあったので、生まれて早30ウン年の独身おば‥長期間の修行を積んで腕が熟練しているお姉さんである私は感動した。ちなみに彼は年下である。
一生懸命書いてくれた彼からの手紙を読んで、私は大きな感動の後に
「たしかに。」
と冷静に納得もした。
本当に色んな事があったからだ。
彼と過ごしたたくさんの想い出。
と、同時にデートに行く前の自分の舞台裏も思い出した。
舞台裏というのは、要するに彼と会うための準備の事である。
今思い出すと、それはそれは気を使った大変なものだった。
私のデートの準備は、当日にデート服を決める事から始まる。
デート服は前夜に決めて用意する人もいるが、私の場合、夜にデートの準備をするとドキドキワクワクして眠れなくなるので、早く寝る分、朝早起きして準備をするようにしていた。
洋服は山のようにあるのに、デート服となると選んで決めるのに2時間かかる事もざらにあった。
早起きして良かったと何度思った事か‥
ちなみに何時に起きていたかというと、服を選び決めた後コーヒーを飲みながら窓の向こうの朝焼けを眺め楽しんでいた‥と言えばお分かりいただけるかと思う。
そうして服が決まると、お次はメイクだ。
メイクは得意ではないので、海浜幕張辺りを歩くキレイなお姉さん達からしたら私のメイク完成形なんてひどいものだが、とにかくできる限りの努力と丁寧を心がけてめちゃめちゃ気を張ってアイラインを引いたりしていた。
(まあ、そのアイラインもデート中崩れて目の下黒いラメでも散りばめたんですか状態になるオチが待っているのだが‥)
メイクが完成すると、最後は髪型だ。
その頃は私自身ロングヘアだった上、彼がポニーテール好きだったので、大抵いつもポニーテールにしていた。
そうして(私なりに)入念に準備してデートに臨んだ結果、季節柄や年齢に合わない服を着て行って失敗したり、フルメイクなのに彼から「え、メイクしてるの!?」と言われたり、髪が湿気のせいで玄関出て5秒でぴょんぴょんはねて静電気の実験をした人みたいになったりしたけど、
つくづく思う。
頑張ってたなー‥自分。
‥ん?
「頑張ってた!?」
と、回想中自分で自分にびっくりした。
今頑張るのが嫌って言ってる自分、昔めちゃめちゃ頑張ってたじゃん!と。
たしかに思い返してみると、あの時頑張ってた。
でも、全然つらくなかったし、苦しくなかった。むしろ彼に会うために行動する事にワクワクしていた。
そういう『頑張る』もあるんだなーと思うと、
じゃあ、今苦しんでる『頑張る』は何だろう?と疑問が湧いた。
私は前々から「自分はこういう人間だ」という考えを見出していた。つまりは自己分析である。
その上でさらに自分の行動を見澄まし自己分析した結果、自分の『頑張る』は2種類ある事に気づいた。
前もって言うが、あくまでも自分で自己分析(要は推測)した結果の中で見出した気づきである。
人間として学術的に見れば、もっと種類があったり詳しい事が分かるかもしれない。
しかしながら、この記事はエッセイのつもりで書いているので、実際に自分の中で感じた事を優先して書いていきたいと思う。
私は元々、自分が本当にやりたい事や「良い!」と思う事だと勇気を出す間もなくスクッと行動に移すタイプだ。
こういう時の努力、『頑張り』は全然つらくない。
これを総称するならば、『楽しい頑張る』だろう。
そして、逆にやりたくない事だと「人としての人生の選択肢(道)は色々あるのに、どうして自分はこの道にいるんだろう」と鬱々と悩んでしまったり、あまりその物事を大切にしなかったりする。
しかし、誰かの手前や体裁上やらなければならない事となると、やりたくなくても行動に移して『頑張る』。
これは、自分にとっては『ツライ頑張る』と言える。
つまり、
『楽しい頑張る』をしている時は自分が本当にやりたい事をしている時。
『ツライ頑張る』はやりたくない事をしている時。
その上、明確な目標があれば頑張る活力が湧くが、目標がなかったり、それが漠然としていると頑張る意義が見出せずファイトをなくしてしまう。
となると、今私の行く先に待ち構えている苦しい『頑張る』は明確な目標のないもので、まさにこれからやりたくない事をしようとしているという事か。
大人になればやらなければならない事から逃げる訳にはいかないが、ぜーんぶ「誰かの手前」「体裁のため」と、『ツライ頑張る』ばっかりしてたら自分の人生を自分らしく歩めなくなるんじゃないだろうか。
と、「ツライ頑張るとは何か」を考えている中で自分の人生を見つめた時、改めてそう思った。
その考えにたどり着いたら
つくづく、
「やらなければ」の間々に『自分のやりたい事』もせにゃな‥
と、思った。
じゃあ楽しいにしろツライにしろ、なんで私は『頑張る』んだろう‥?
そうやって考え事をしているさなか、ふと顔を上げた。
私の視界に入ってきたのは、私が書いた彼への手紙をニコニコと嬉しそうに読んでいる彼の姿だった。
そうだ。
私はこの人と一緒にいるために頑張ってきたんじゃないか。
そうか。
私に限らずとも人は何かを得るために頑張るんだ!
そして、その「何か」を得たとき
人は『幸せ』を感じるのかもしれない。
そうか、
『幸せになるため』に私は頑張ってるんだ‥。
そうして腑に落ちた私はメガネをはずして彼の頰にキスをした。
キスというのは、魚の事ではない。
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