自己再生

自己再生、これは元横浜ベイスターズで活躍しその後メジャーに挑戦して成功を納めた斎藤隆氏がメジャーで成功した直後に出版した自伝書のタイトルである。
斉藤は年齢的に私より2歳下でほぼ同世代である。彼は日米でクローザーとして大活躍した佐々木主浩の東北福祉大野球部の一つ下の後輩でプロ入り後も横浜ベイスターズで同僚としてプレーした選手である。
斉藤氏はベイスターズで先発、佐々木選手がメジャー移籍した後のクローザーとして日本プロ野球界で著しい活躍を残している。
そんな彼だが30代半ばを迎える頃には腰の持病もあってかベイスターズが戦力として考えるには難しい選手になってしまった。
そこで彼が考えたのはメジャー挑戦であった。ベイスターズの功労者である斉藤に対しベイスターズはその願いを承諾し彼はポスティングではなくFAとして自由にメジャーの球団と交渉できるようになった。
その後彼が契約した球団はドジャースである。もっともその契約はマイナー契約である。おそらくドジャースのシーズン前のキャンプには参加できる招待選手としての契約であっただろう。
しかし斉藤はシーズン開幕時にはベンチ入り可能な26人枠には残れなかった。
しかし彼にチャンスが訪れる。中継ぎ投手の1人が怪我で離脱してしまったのだ。
そこで声がかかったのが斎藤である。
彼はそこで結果を残し、同シーズンではクローザーの地位にまで上りつめた。同シーズンの彼の最高球速は159キロ。あの伊良部の最高球速を超える数値である。
斉藤にとってメジャー挑戦は記念挑戦だったかも知れない。日本球界で活躍できなくなった選手がメジャーで活躍できるかと言えば多くの人が否定的であろう。
しかし彼はチャンスを物にして成功した。年齢35-36歳の時である。

話は変わるが自分はもう初老と言われる年である。しかも10数年前にうつ病が酷くなりそれ以降はほぼリタイアしているような身分である。
自分が思うに野球選手の35-36歳というのは野球生命において一般成人における初老と同じ年齢である。

自分はまた仕事をしたい、仕事で頑張りたいと今も求職活動を続けている。実際に面接の予定もある。
だからこそ野球生命としては初老と言ってもいい年齢の頃の斉藤選手がメジャーに挑戦し成功を納めた経験は自分を勇気づけてくれるのだ。

ちなみに斉藤はチーム移籍もありながら数年メジャーで活躍し最後は楽天でプレーし彼の野球人生を終わらせている。

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