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三宮銀三郎 第九話:神田天翔と艶物の書

第九話:神田天翔と艶物の書

時は嘉永二年の晩秋、人々が神田天翔に集まっていた。この墨翰の世界には、特異な存在があった。それは「艶物」と称される類いの書であった。この書は裸体や情欲の交わりを描き、人々の背徳的な欲望をくすぐるものであった。

この艶物を得意としたのは、久遠寺照信という墨翰術師兼住職であった。彼は近江出身の明心僧でありながら、独自の墨の扱いと静寂な作品によって、内省と悟りの深さを表現していた。しかし、彼の実態は坊主としては最低のくずであることを巧妙に隠していた。

その日、神田天翔で出題役を務めるのは、度胸のあるというよりも恥知らずな男であった。お題は「むしゃぶりつきたくなるような女」であった。このお題によって、天翔の客たちの反応が試される瞬間であった。

天翔に集まった群衆の中でも、久遠寺ははしたない笑みを浮かべていた。彼は筆を置いた後、男客たちを見つめながら「見るならば仏罰を覚悟せよ」と嘯いた。この言葉に男たちは興味津々であり、一層の興奮を覚えた。

やがて銀三郎も筆を置き、客たちは書き上がりを待つ中で息を殺した。床が跳ね上がり、二枚の書が示された。

久遠寺の書はまさにお題そのままで、美しい女体が描かれていた。その姿は細部まで緻密に描かれ、官能の色香が漂っているかのようであった。女客たちは恥じらいながら顔を背け、男客たちは釘付けになった。

しかし、対照的に銀三郎の書は湯あみ前の脱衣の様子を描いていた。その姿は情欲からは無縁であるが、細やかな筆使いが織り成す表情は、まるで官能のかけらを内包しているかのように感じられた。

それが天翔の客たちに選ばれた理由である。銀三郎の書は、欲望の目覚めを促すのではなく、かけがえのない美しさや純粋な美意識を引き出すのだった。

軍配は銀三郎に上がった。客たちは彼の書に魅了され、その価値を見出した。

久遠寺は自ら書をそっとしまい、男客たちに向かって声をかけた。「二両から」と。ぽつりぽつりとではあるが、値は上がり、「三両と半」になった。

久遠寺は負けたとて、はしたない顔でにやりと笑い、金を懐にしまい込んだ後、舞台から降りて行った。

この出来事を境に、銀三郎の評判は大いに高まった。艶物とは正反対の筆で、真正面から挑んだ銀三郎は、墨翰の世界で独自の視点と技巧を発揮し、人々を魅了した。

そして、この日の神田天翔は、下卑たお題に格式という新たな光を与えたのである。