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メディア生成モデルがクリエイターを殺す日

メディア生成モデルがクリエイターを殺す日

画像生成モデルによって、画師が大絶滅にひんしている中、楽曲生成モデルの台頭により、作曲家もその絶滅の危機を迎えている。
サウンドアルケミストとして、私は生き残り、次のEra「紀」に食物連鎖の頂点となるわけだ。
さぁ、今こそサウンドアルケミストに種族チェンジだ!

というような、戯言はほおっておくとしてwww
そもそもの話、クリエイティブであろうとなかろうと、「手練れ」にしろ「玄人」にしろ、業は陳腐化する。
ブルーオーシャンであり続ける業など存在しない。
これはAI云々という話とはう関係だ。すべては陳腐化するものだ。
手に職をつければ・・・というが、それは昔の派内である。
一子相伝、免許皆伝、弟子入り・・・・そういった文化的背景は、この陳腐化をさけるためのものであった。

民主主義は、情報が解放されている。受け取る側の努力は必要であるが、あらゆる情報は、すべてオープンとなっている。
だからこそ、守秘義務という言葉が存在するのだ。
この時代、すべての「業」に関するその「勘所」や「コツ」などというものは、暴露されている。
Youtubeには様々な教育系コンテンツがあるが、それこそまさに、職人主義お崩壊である。

無造作に石を投げれば弁護士にあたる時代、どんな技術や知識をもっていれば、「特別」であり続けられるのであろうか?
そんなのは無いのだ。

AIを規制するなど、単なる先送りに過ぎない。AIを完全に規制したところで、ニッチはそこに新たな内科を生み出してしまう。
それがなんであるかはわからないが、例えば、「画師」を守るために、AIが規制されたとしよう。
AI規制された画師という業は、ブルーオーシャンだ!と勘違い輩が大量に生み出されるだろう。
なにせAIと競争しなくてよい業なのだから、素人参入のハードルが下がってしまう。
AI規制して何が変わるというのだ?先送りするだけのこと。
およそ「AI規制」を望むものは遅かれ早かれ「淘汰」される犬なのである。

ここで終わると怒られるだろうから、きっちり自分も含めての自戒であることを示そう。

サウンドアルケミーと名乗ることで、楽曲生成モデルの手練れのフリをしていけたらいいななどと言っている私だが、例えば、私が生成モデル作曲で成功しよう。
「サウンドアルケミストなら俺でもなれるじゃん」がわくだろう。
そして、私は埋もれていく、淘汰されて、「あの人は今」的ショート動画で1分ネタの真ん中にはさみこまれて、一笑いの種になる。

そういうことです。やがてサウンドアルケミストなんてmののも陳腐化する。
「淘汰」は結局のところ、にわかを殺すのだ。

そして、本物だけが残る。ミュージッククリエイターにしろ、サウンドアルケミストにしろ、どちらにしても・・・である。

さらに言えば、私がサウンドアルケミストとして成功することなどない。
努力してないからだ。
私はただ遊んでいるだけだから・・・

「言い訳」を潰してやったので、成功してからモノを言え。
俺も含めて・・な!