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鏡の中の音楽室 (17)

第二部 非常識塾長

第3章 広春と武士と夏休み


夏休みがもうすぐ始まる7月の半ばのある日、白杵先生から「夏休みのくらし」といういろんな教科の宿題が閉じ込められた冊子が配られた。いわゆる夏休みの宿題のワークだ。
 
「よこめ。よこめ。ちょびっと頼みがあるんだけど。聞いてくれ」
 
武士が席についている広春に近づきながら話しかけてきた。
 
「聞くだけやで。黙ってしっかり聞いといたる。さぁ、話せ」
 
広春はいつものようにまともな返答はしないが、武士は構わずにしゃべりつづける。二人の会話としてはいつものパターンだ。
 
「お願いです・・・横平さま。俺の頼みをきいてもらえないでしょうか?」
 
武士は広春の目の前で手を合わせてお願いしてきた。
 
「わかった。わかった。冗談。冗談。で何?お願いごとって」
 
いつものようなやり取りが終わると、武士は本題に入った。
 
「俺さ。夏休み帰省するんだけど。去年も名古屋に帰省したじゃん。でさぁ。去年こっちに帰ってきたときに夏休みの宿題をやるのが大変だったんで、できりゃあ名古屋に帰省する前までに、ほとんど終わらせたゃーいんだけど、一緒にやってほしいんよ」
 
武士が頼みごとをするときには、名古屋弁が出てくることは広春はすでに知っていた。
 
「おぉ!そんなんお安い御用やで、俺、毎年7月中に夏休みの宿題終わらすんや。今年もそのペースで終わらそうと思とったんや。ほんで、ぶしはいつ帰省するん?」
 
なぜか広春は武士の言葉に名古屋弁が混ざると、意地を張って讃岐弁で返す癖があった。
 
「ちょうどよかったがや。俺もよ。7月の終わりに名古屋にかえるもんで。でさ、こっちに戻ってくるのが8月20日ぐらいで、帰省ラッシュが落ち着いてからだで。7月中に宿題終わらせられたらいいなあと思っとったんよ。」
 
上目遣いに広春を見ながら、ほっと胸をなでおろす武士に向かって
 
「よし、ほんだら今日から宿題終わらしていこか?どうせ絵やら日記、工作、自由研究が追加で出るんは、わかっとるんやから、それらも含めてしてしまえばええんやで」
 
広春は笑いながら右手で武士の肩をポンポンと叩きながらとんでもないことを言った。
 
「えぇっ!今日からやるん?どうするの、自由研究や工作ってまだいわれてないよね」
 
そんな驚きを隠せない武士に対しても広春は冷静に答えた。
 
「ぶし君。かにぶし君。自由研究というのは自由に研究するということなんだよ。自由なんだから、今からでもどこからでも自由にすればいいんだよ。テーマは自由なんだよ!」
 
「そりゃそうだけどよ。っておぃ!いつも言っとるでしょ!人を鰹節みたいに呼ぶな!わかったて、わかったんで。今日、よこめん家に行っていいか?じゃぁ今日からやろう!」
 
その日の夕方、武士が広春の家に着くと、すでに広春は夏休みの日記を書いていた。
 
「おい、まだ7月18日なのに、なんで日記が書けるんだよ!?」
 
武士は、広春の行動があまりにも常識とかけ離れていたために驚きを隠せない様子だ。
 
「おぉ!うちはさ、小さな工場を経営しとるやろ。だから、夏休みだからって旅行に行くこともないし、どっちの親も尾島出身だから、帰省する必要もないんだよ。この日記の内容は、実は1年前の日記をたたき台にして、日付ではなく、曜日ごとにその骨組みだけ写して少しスペースを空けておけば、後は天気だけ記入すれば大丈夫だろ。去年なんか、おかんに見つかって『その通りに行動しまいよ!』なんて言われたけどな」
 
・・・・・・・・・・・・・
 
それは1年前、広春が小学4年生の夏休みの初日の夜のことであった。広春の母の亜紀が夜寝る前に子どもたちの宿題をチェックしたすぐ後のことだった。
 
「広春!あんた夏休みの宿題全部やっとるってゆうてたから見せてもらったけど、日記も全部書いて『夏休みにくらし』の最後のページの『夏休みの反省』も全部やってしまっとるやないの!なんなん、あんたの夏休みもう終わっとんか!」
 
すごい剣幕で広春を叱責する亜紀であったが、広春は動じていない。
 
「え!なんで宿題を終わらして怒られないかんのな!だらだら宿題を40日かけて時間つぶしながらやるやつと、残りの時間しっかり過ごすのとでは、やれるもんを早よやっとる奴にはいろんなチャンスがまわってくるやろ!そのチャンスを活かそうとしとるだけやん」
 
といつもの理屈をこねだす広春に対して、
 
「違うわ!私は計画的にやれ!っと言うとるんや!お前のことやけん、毎日だらだらテレビばっかり見て時間つぶすんちゃうんかっていうことが言いたいんです!」
 
広春にとって「計画的にやる」と「ダラダラ」という言葉はトランプでいえばjokerのカードを手に入れたぐらいの最強の切り札であった。
 
「大体やな、計画性がなかったら、まだ宿題終わっとらんっちゅうねん!俺が家でテレビばっかっり見るわけないやんか!それは姉ちゃんやろ!俺がダラダラ家におると思うんか!それこそがまちごとるわ!俺は家でダラダラするんは好きやないけん、さっさと宿題終わらして遊びに行くつもりやし!宿題を今からやろうというやつに比べたら、普通は褒めてもらえることとちゃうん?」
 
亜紀はぐうの音が出ない様子だったが、切り札として日記のくだりを出してきた。
 
「分かった。わかった。よーぅわかった。宿題を終わらしたんは褒めとくな。けど、日記と反省は違うわ!あんたの書いたとおりにならんと、あんたの大嫌いな「うそ」をあんたが堂々とついて、先生や読む人みんなをだますことになるんやで!それはやり直さんといかんやろ!今やっとったらいかんやろ!そこは私の言うことを聴きなさい!」
 
ここで一本取っておかないと、親の尊厳が保たれないと判断した亜紀は思い切り最終カードを出してねじ伏せにでた。しかし、広春は日記や反省が「うそ」にならないようにしっかりと日記に準備をしていたので
 
「大丈夫。うそにならんようにちゃんと書いとるけん。心配せんとって。もうえぇやろ。説教するんやったらまだ宿題してない姉ちゃんにしてくれ」
 
そう胸を張って亜紀に答えた。すると亜紀は意地になって
 
「分かったわ!私は毎日チェックするけんな。嘘つかんようにその通りに行動しまいよ。もしちょっとでも違うかったら、全部書き直しをしてもらいますけんね!」
 
広春は武士に1年前のエピソードを簡単に説明した。
 
「宿題終わらしとって説教垂れられるなんて思ってなかったけど、その後、お母んのチェックも1週間ぐらいしか続かなかったけどな。『経営者にとって、月末はいくら時間があっても足りん』って両親が毎月言っているからな。そして、夏休みの最後にちらっとチェックして、ほぼ矛盾点も見つからんかったから何も言われんかったけどな。武士の場合は日記はちゃんと書かないかんで。嘘書いたらいかんけんな」
 
広春は日記の経験談からくる薄っぺらい教訓を自慢げに武士に聞かせた。
 
「そうやな。俺は去年の日記がないから今年のを来年に残しとかんとかんね」
 
武士はものすごくいい話をしてもらった後の雰囲気に包まれていた。たかが日記の話である。
その後、二人は10日ぐらいで夏休みの宿題をほとんど終わらせ、様々な夏休みの冒険の日々を過ごし、7月の最後に武士は妹の真美とともに名古屋に帰省した。
 
8月も中盤を過ぎ、世の中のお盆休みが終わった。Uターンラッシュのニュースが流れなくなった日、広春の自宅に武士から電話がかかってきた。
 
「もしもし。蟹江ですけど広春君いますか」
 
「あっ!かにぶし?オレオレ、広春やけど。何?何?いつ名古屋から帰ってきたん?」
 
「おぉ!よこめ、昨日帰ってきた。父さんが今日から仕事だもんで、昨日の昼ぐらいに帰ってきたんよ」
 
「あぁ、そうなんや。ところでお土産の「ういろう」っていう羊羹とも違う、ゼリーでもないなんか表現しがたいっていうお菓子買ってきてくれたんか?」
 
「おぉ!ばっちり。買ってきたでよ!でら種類があるんだけどぉ、お前んところの家にはお世話になっているから『ひと箱持っていけ!』ってひと箱買ってきとるんで、いろんな種類のが味わえるで!」
 
「武士、何か名古屋弁が強なってない?まぁえぇけど。それで、前に武士が言うてた癖になる白いういろうもあるんだろうな?」
 
「よゆう!よゆうで入っとりゃーす!違う違う。そんな用事で電話かけたんと違う。竹田さんが明後日ぐらいから旧校舎の残りを解体するって父さんが言ってた。それで、東校舎が新校舎になって完成しとるらしいんだ。だから、明後日一緒に学校に見に行こうや」
 
「ほんま?よし明後日一緒に学校に偵察に行こうか!それで「ういろう」はいつもらえるん?今からでも取りに行こうか?」
 
「いやいや。今日父さんが仕事から帰ってきたら校舎の解体のことや新校舎の完成具合なんかを詳しく聴いて、「ちゃんとした情報とういろう」よこめん家に持って行くからその時に『新校舎偵察作戦』をしっかり立てよう」
 
 
「じゃあ、明日何時にする」
 
「昼飯を食ったら、よこめん家に行くわ!」
 
「おぉ!じゃあ楽しみにしとくな。そんじゃあね。」
 
「おお、そんじゃあな」
 
武士の話で広春の夏休み最大のイベントが用意された。新校舎はどんな感じになっているのだろうか。そして、あの白いういろうは本当に癖になるのだろうか。広春は武士との約束を楽しみにしながら、眠りについた。

第3章 広春と武士と夏休み 完

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