僕は早歩きをする

僕は「インターステラー」という映画が好きだ。この作品は近未来の地球を舞台に、気候変動、食糧難から逃れるために人間が居住可能な惑星を探すというミッションに主人公が挑むというものでアインシュタインの「相対性理論」が物語に大きく関わっている。あらすじはシンプルだが、宇宙と家族愛が絡み合い感動のラストを迎える。相対性理論とは簡単に言うと、あらゆること、主に時間とは相対的(比較の上で成り立つ様子や評価)であるということで、インターステラーではそれを地球上の時間の進み方と、他の星での時間の進み方が違うということで示した。その星での1時間は地球では5年に相当するみたいな感じだ。

時間は相対的である。よく考えれば日常生活でもそれを感じることがある。高校生の頃、クラスという箱の中で僕は道化を演じていた。要はイジられキャラだ。そのキャラクターは意外にも人気でクラスで孤独を感じることはなかった。しかし、その箱を出ると僕は何者でもなかった。特に登下校の時間はキツかった。クラス以外ではずっと一人だったので、登下校(最寄から高校までの道)は誰とも会いたくなかった。クラス以外で僕という存在を誰にも見つかりたくなかった。だから僕は早歩きをして気づかれないようにした。みんなが乗る電車を避けて一本前の電車に乗ったりもした。そうやって早歩きをしていると、時間は相対的だってことに気づく。同じ時間を過ごしているのに、明らかに早歩きの僕と、他の人とでは時間の進み方が違うと感じる。授業と授業の間の10分休憩もそうだ。何人かでゲームをしている集団と、一人で本を読んでいる人、誰かと楽しい話をしている人、机に伏せて寝たふりをしてる僕とでは、同じ10分でも質や体感時間に差がある。今では机に伏せて寝たふりをしてた僕を後悔している。本を読むでもいい、無理に誰かと話す必要はないけど、一番楽な何もしないっていう選択をするべきではなかったのだと思う。何もしないでゴロゴロする一日は最近逆にだるくなってしまうからしてない。過去は変えられないけど未来は変えられるって信じてるから、今を、未来を変えるために全力で生きようって思えた今日この頃。

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