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「怪物」を観て感じた主観が入り混じることで生じる誤解と同性愛

「怪物」公開当初観た一回目と最近観た二回目を通して感じたことを綴っていきたい。
この作品はとある事件の母親視点、先生視点、当事者の子どもたち視点を三幕に分けて構成している。最後の子どもたち視点が全ての答え合わせのようになっていて新鮮で面白い構成だなと感じた。視点を分けることで、視点つまり事件に対するそれぞれの主観が異なるということを強調している。この作品は観客が神視点、つまり全ての主観を俯瞰して捉える役割を担っている。つまり僕たち観客の見方によっては結末の考え方が真逆になってしまうということもあり得るということだ。物事には一面だけではなく、人の数だけその人なりの側面があり、それらが複雑に絡み合って真実というものが見えなくなってしまう恐ろしさに気づくことができた。また、この作品は同性愛という要素も含まれている。同性愛者は当たり前だが子供を授かることができない。(養子などで授かることはできるが…) 社会が作った普通の幸せ、普通の家庭というものに適応できないことに同性愛者は悩み、苦しんでいる。何気ない一言が同性愛者を苦しめる、そんな描写がリアルに描かれていた。その現象を全ての言葉を鵜呑みにしてしまう純粋な子供の視点から観客に見せることでより深い意味へと落とし込んでいるように感じた。まだ、観ていない人のためにネタバレは避けるが、ラストシーンの衝撃が忘れられない。衝撃の故、映画が終わってから何も考えられず、ぼーっとしてしまった。かなり僕好みの作品でしたので紹介させて頂きました!

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