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無銭飲食と無錫旅情は似て非なり|Report

沖縄そばがまだ希少な外食機会だったころ、無銭飲食もときどき横行していました。その様子を当時の新聞記事から知ることができます。

無銭飲食や食い逃げは、貧困や経済的苦境にある人が代金を払うことができずに行われるのがふつうです。窃盗罪または詐欺罪にあたるようです。そのほかにも、無銭で飲食することを挑戦や冒険ととらえ、刺激を求めてやっちまう輩もいます。『ワンピース』のモンキー・D・ルフィはこのタイプですね。映画や小説では経済的な不平等に抗議する行為として描かれることがあります。また、最近の邦画では認知症の描写に無銭飲食が使われたりします。光石研主演の『逃げきれた夢』などが思い浮かびますね。

ケース1

支那蕎麦の食逃
国頭郡本部村字比名◉境内谷茶四六島袋全助と云ふ男は珍しい程の支那蕎麦好きにして遥々登覇し夜毎に出でて支那蕎麦の買食ひをなすを唯一の楽しみとなし居たるがさう何時まで蕎麦ばかり食っても続かず今や懐中無一物になりたるにも懲りず一昨夜又々石門森蕎麦屋に上りて例の支那蕎麦を命じ散々に食ったる揚句給仕の隙を見て逃げ出したるを遂に主人に支那蕎麦泥棒と引つ捕らえられ警察に突出されたるを結局示談になりて放免されたり

【出典】1911.12.26 琉球新報
◉は字が潰れて読めず(以下同)

現代語要約
島袋全助という男は珍しいほどの沖縄そば好きで、わざわざ本部村谷茶から訪れては沖縄そばを買い食いすることが唯一の楽しみだった。今では一文無しになったにもかかわらず、懲りずに一昨夜も石門森そば屋にてそばを注文し、十分に食べた挙句、給仕の隙を見て逃げ出してしまった。しかし主人によって泥棒として捕まり、警察に引き渡された。最終的には示談が成立し、釈放された。

ケース2

支那蕎麦を四杯ペロリ 此奴は恐ろしい大食家
區内若狭町三五七九崎山松(三〇)と云ふ男昨朝午前零時微酔機嫌になりて久茂地シッタイ道の突き當りなる新城ウシ(四九)の支那蕎麦屋に行きて支那蕎麦を命じ瞬時の間に四杯ペロリと平らげ◉して後のお代りを早くゝと急き立てる様子の何杯まで続くか一寸先が分からぬので蕎麦屋家族等は見掛によらぬ大食の男だと驚き穢らしい風体なる 蕎麦代の持合せは如何と一先ず支那蕎麦四杯代金二十銭也と請求に及びし所、崎山は頭を横に振って今晩持って居ないから夜の明けるまで貸して呉れろと云ひしに蕎麦屋の家族等はソレゝ大変な奴だと厳しく請求したるに崎山は甚だ図々しい奴と見え俺の着物を置くからモ一杯呉れ玉へ俺の衣物だ 支那蕎麦五杯相当の価値はあらうと威張りしも家族が応ぜぬより遂に怒り出し並んで居る支那蕎麦の器物を叩き壊はし尚ほも乱暴をなさんとする所を潟原駐在所の巡査に押えられ本書まで引き摺り行かれたり

【出典】1914.02.13 琉球新報

現代語要約
崎山松(30歳)という男が、昨日の午前0時頃にホロ酔いで久茂地の新城ウシ(49歳)の沖縄そば屋に行き、4杯をペロリと平らげて、お代りを早くと急かす様子。そば屋の家族らはひとまず、4杯の代金20銭を請求するが、崎山は頭を横に振り、夜が明けるまで貸してくれと言った。しかし、そば屋はその要求に応じず厳しく請求した。崎山は甚だ図々しい奴と見え、「俺の着物を担保にもう1杯くれ」と言い張った。家族が応じないため、崎山は怒り出し、器物破損しようとするところを駐在所の巡査に押さえられ、警察署まで連行された。

ケース3

食ひ逃げ
字西二一六具志幸完(三五)は字西比嘉樽方に於て支那ソバ二杯を食ひ代金を拂はずして逃げ去らんとする所をドッコイ逃がさじと引捕はれ警察へ突出さる

【出典】1914.03.02 琉球新報

現代語要約
具志幸完(35歳)は字西の比嘉樽方で沖縄そば2杯を頼み、代金を払わずに逃げようとしたところを捕らえられ警察へ突き出された。


これらの事件で考えられる背景として、貨幣経済が十分に浸透する前に行われていた売掛(つけ払い)があります。以前から商家や飲食店が掛け取引を行い、これがトラブルの原因となることがありました。現代のような厳密な計算と決済の仕組みが整っていなかったため、「やった」「やってない」の食い違いがしばしば生じたようです。ケース3は被害者・加害者とも同じ界隈の顔見知りだったとも考えられ、売掛トラブルの可能性が高いのではないでしょうか。

ケース1はそば好きによる犯行で、そば屋の件数自体がそう多くなかった当時ですから、森そば屋にも何度も足を運んでいたと考えられます。それゆえの示談だと推測します。この記事からは、明治末期ですでに示談という揉め事解決方法が浸透していたことを学びました。ただ、そばを食べるために今の本部町から那覇に通うなんてことは、モビリティの手段が限られていた当時はそうそうできなかったと思いますがね。

フードファイターばりの胃袋強度を誇るのがケース2の実行犯です。「大食い遺伝子」の存在が確認されているわけではありませんが、生まれつき大食いの人はおそらく昔もいたはずです。食物浪費の文化はさまざまな国や時代に存在し、祝宴や儀式、宴会の一環として大量の食べ物を摂ることが行われていました。例えば北米のポトラッチという招待・贈り物の慣行だったり、中国南部から南アジアあたりの勲功祭宴という盛大なパーティの習俗だったりが該当します。現代でもフードファイターの来店に怯える店主はいますが、当時のウシンマーそば屋も災難でしたね。

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