夫が希少がん! 第5章

第5章  再手術

4年前同様、手術前検査を色々行った。今回はコロナ渦もあり、入院前に、コロナの検査も行った。
予定通り、手術の日を迎えた。コロナ渦なので付き添いは1人だけと言われ、夫の病室(個室)で1人寂しく待機した。手術開始は午前9時。テレビをつけたけど、全く内容が頭に入らず、何を観てたのか思い出せない。
夕方になり、早い夕食を食べた。売店で買っておいた弁当だ。意外に美味しく頂けた。また、テレビをつけたが、何を観てたのかは思い出せない。とにかく長かった。手術終了予定時刻になっても、看護師から何も連絡はなく、、、、痺れを切らして、こちらからナースステーションへ。「手術が延びてるようです。今から形成外科手術に入ります」とだけ言われた。
結局、手術が終わったのは、午前1時頃。集中治療室で眠っている夫と対面出来た。痛々しく包帯で巻かれ固定されている顔を見て、改めて手術の大変さを思い知らされた。看護師からは、「これからが大変だね」と言われた。
術後3日間、薬で眠らされ安静にしていた夫が目を覚ました。1週間ほど、毎日、病院から報告の連絡があった。
集中治療室から個室に移動する日、夫との面会が許された。しばらく声も出せないので、会話はできなかった。夫に代わって、夫の上司に状況報告。話しているうちに、涙がこぼれた。そう言えば、泣いたのは、手術説明時、あのうどん屋の時、そして、会社の更衣室(家では、子供たちの前では泣けないので、1回だけ)以来だった。
寝たきりの夫は、時々呼吸が辛そうになり、痰吸引してもらったり、オムツ交換してもらったり、、、完全看護の状態だった。
後に夫から、この時のことを聞かされた。どうやら、薬の影響で、妄想の世界で生きていたようだ。テロに病院が占領され、一刻も早く自分は転院しないといけないのだと思っていたようだ。だからかもしれない、後日面会時に、ホワイトボードを使って夫と会話した時、「いつ転院するの?」と聞かれたわけだ。そんなことも知らない私は、看護師から、夫が夜中、娘に電話して!っと叫ぶことがあると聞かされていたこともあって、内心、夫は大丈夫なのか?元気になるのか?と、とても不安だった。
と同時に、もしものことがあったら、子供3人を抱えて、私は頑張って生きていかないといけないのだと、奮い立たせ、毎日仕事と家事と子育てに追われていた。

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