#5 お休みの日の過ごし方(11月エッセイ③)

週に1回の貴重な休みは、どうにか有意義に過ごしたいと考えている。皆さんはどう過ごしているだろうか。

そもそも自分にとっての「有意義」とはなんだろう。自分のご機嫌を取るためにもここはいずれちゃんと掴んでおきたい。

私の休みは、週に1回。業務上大体月曜日である。平日休みは、土日休みに比べて人が少ないため比較的お出かけするには良い。大体実家に帰るか映画を観に行くかでそんなにお出かけはしないけど。

休日はもちろん早く起きたい。出来れば6時くらい。しかし、休日の前日も「明日は休みだー!」のテンションで夜更かしを最大限楽しんでしまっているため大体10時くらいに起きる。

朝起きて、まずブラインドを開ける。
惚れ惚れするほどの青空が顔をのぞかせる。
あぁ、、最高か!!!
朝のこの瞬間に今日1日のテンションが多少左右される気がする。
今日何しようかな。休みの日ではあるがなかなかに業務も切羽詰まっていたため多少仕事しなきゃいけないことはわかっていた。が、それは一旦忘れてまずは最近ハマっているドラマの最新話を観たいなと思った。
最近ありがたいことに秋がきてくれていて、外に出ないにはあまりにもったいないよなとも思った。近くのコンビニでポテチと牛乳を買って、めちゃくちゃに自分を甘やかしながらドラマを観よう。

顔だけ洗って髪の毛はほぼ寝起きのまま、星野源さんの「生まれ変わり」を耳を通して脳に浸透させながら近くのコンビニまで自転車を走らせた。

日光が寝起きの体に降り注いで、セロトニンという幸福物質をガンガン放出されているのを感じた。思わず手を太陽にかざすというドラマでしかみたことない行動をとっていた。
その時は、自分でもどういう感情でその行動を取りたくなるのか不明であったがとにかく幸せを感じていた。
今思うと、手を見るというのは、自分の意思で動かしているのを見ることが最も簡単な部位であるから、自分が生きてることを確かめる、自分が感じている喜びを噛み締めるという行動だったのかも。

朝起きて、好きな音楽を聞きながら日光を感じるという行為は、“一種のととのい”であると思う。
サウナのととのうと同じで、長州力的にいうと‘’飛ぶぞ”だ。

コンビニで予定通り牛乳とポテチを買った。
ここは、贅沢をしようと「おいしい牛乳」を買った。ポテチは、ビザポテトにしようと思っていたがなかったのでエアリアルのてりやきチーズを買った。

満を持して「いちばん好きな花」を観る。
言語化できない素敵さがいっぱい詰まったドラマで幸せだ。脚本家さんの頭の中ってどうなっているんだろう。おかげで有意義な休日になった。

有意義の定義は、たぶん「幸せを感じたら」意味があると思えるのかな。

天気がいいとか、ドラマが面白いとか幸せのハードルは、低く、感度は高く、小さい幸せにもたくさん気づけるようになりたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?