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物、物、物…

とにかく物が多過ぎて、どこから手をつけていいか頭を悩ませました。
多分実家に戻る予定が無ければ、何年もこのままだったでしょう…。
しかし、翌年の春には引っ越しを決めたからにはタイムリミットがあります。
とりあえずキレイにリフォームした台所に戻さない物から片付けました。
何十年もののキッチンワゴン。年に一回使うかどうかの調理器具。食べれるか怪しい梅酒の残りの梅や梅干し、らっきょう…最後に使ったのはいつか分からないものばかり。

片付け始めた時は
「台所は〇〇(私の名前)使うんだから、〇〇が好きに片付ければいい」
と言っていた父。
しかし、私がどんどんゴミ袋に詰め込むと、今度は
「〇〇はなんでも捨てる…」
と祖母に愚痴るように。

「私だって好きで捨ててる訳じゃないのに…」

そこから、父に
「あれはまた捨てたんか?」
「どーせ捨てたんやろ」
と自分が探してる物が見つからないたびに私が捨てたせいにされ、「捨てる」と言う言葉を聞くたびに凄くストレスが溜まりました。

父はもともと片付けが全く出来ない人間。
いつも母が片付けをしていました。そして自分が必要な物が見つからないと、母が仕舞い込んだとか捨てたとか、いつも母のせいにしていました。
それが今度は私に…。

でも私が片付け(処分)しないと、誰も代わりにしてはくれません。
母は「100歳まで生きる」「化石になっても生きたい」と言っていた人間だったので、まだまだしたい事は沢山あって、沢山の物を置いていきました…。

でももしこのまま私も物を沢山残してこの世を去ったら…困るのは子供達。

私はそれだけを考えて片付けを進めました。

しかし私だって人の子。捨てるのが心苦しい訳ではありません。しかも何が大変って、1番面倒なのは分別です。
しばらくは環境センターの冊子と睨めっこして、分別に奮闘しました。

流石に毎日分別していると、段々と慣れたものに。そこからは体力との勝負です。本や雑誌も何十、何百冊出てきたかわかりません。紐で縛っては車に運んで…環境センターに1日3回行く日もざらにありました。

物理的な分別も大変なのですが、1番難しいのは「捨てる」「捨てない」を判断する事です。

2年経った現在でも未だに
「まだ使えるな〜。子供が遊びに使えるかもな〜…」
などと心が揺らぐ日もしばしば。

特に母は仕事でも趣味でも、手作りの物が沢山ありました。
なので、仕事の材料を置く棚だけでも何個あったかわかりません。(私の記憶にあるだけでも私の身長より高い棚が六つはありました。しかも全てパンパン)

友達が
「メルカリで売ったら?」
とアドバイスしてくれましたが、アナログ人間の私は、とりかかるまで面倒と思ったのもありますが、なんせ売れるまで保管していては片付けが進みません。なので「売る」という行動は早々に諦めました。(それから一年半後、引っ越しが落ち着いてからメルカリに挑戦しました)

なので、とにかく捨てる、捨てないを検討する日々が続きます…

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