NIMBY
や
を読んでいただけるとわかるとは思うのだが、パヨクも敬老ネトウヨも「障害者や高齢者が安楽死させられる社会は嫌だが、障害者も高齢者も私は面倒を見たくない。私の知らないところで面倒を見ていてほしい」と無意識のうちに考えているのである。これはNIMBYの一種である。NIMBYとは
ということであるが、彼らはNIMBYに加えて「命の選別」は何が何でも嫌だということで余計に社会の負担を増やしているのが害悪である。「命の選別」による社会不安が起きない範疇で「命の選別」をしようと考えているのに対してもそれすら頓挫させようとする。しかも、それによって減らせなかった社会の負担の責任は取ろうとはしない。相当無責任な話であると私は思う。
少しだけ話が逸れるかもしれないが、このツイートの指摘は重要である。本来であれば高齢者の延命をしないことを「人権を守るため」として体よく社会保障にかかる費用を削減することがインテリの仕事なのだが、日本のインテリは大抵リムジンリベラルであって、高齢者の延命をしないことを「ナチス」や「植松聖」を持ち出して批判するので社会保障にかかる費用を削減することができず、その代償で現役世代や将来世代の負担が増えてしまっているのである。日本のインテリは高齢者の延命をしないことは「人権を守るため」ではなく、社会保障を減らすことが目的であるということを「見破る」ことで自身はよいことをしているのだと正義に酔いしれているのかもしれないがそのせいで負担を被る現役世代や将来世代のことについては知らんぷりなのである。
日本のパヨクも敬老ネトウヨもコストを負担する気がないくせに軽々しく社会保障に関して騒ぐことはやめるべきである。
追記
高齢者の誤嚥性肺炎による介護施設での死亡事故もそうなのだが、このような死亡事故で介護施設、療育センターなどに賠償金の支払いを命じる司法も、そもそも介護施設、療育センターなどを訴える遺族もおかしいとは思う(遺族はこれまでの判例を踏まえて訴訟を起こした可能性はある)。自身らで世話をせずに介護施設、療育センターなどに投げ出すという責任放棄をしているのに対してそれらの施設を訴えるのは間違いだろう。また、このような訴訟、判決が続けば介護施設、療育センターなどの障害者や高齢者に対する介護、療育などのサービスは廃止されていくだろう。私はその方が、特に高齢者介護に関してはよいとは思っているが。
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