後期高齢者の窓口負担割合を一律3割にすることは日本の社会保障制度の問題解決策になるか

ここ最近、以下の記事のように後期高齢者の窓口負担割合を一律3割にするべきだという議論がたびたび行われている。

(出典)
https://agora-web.jp/archives/240209072545.html?amp=1 

理由としては、後期高齢者の多くの割合が保険診療の窓口負担割合が1割であり、残りの9割の内4割が現役世代からの支援金となっている。そして、その現役世代からの支援金が現役世代の負担となっているので、窓口負担割合を一律3割にすることで現役世代の負担を減らそうということである。ちなみに、後期高齢者の窓口負担、現役世代からの支援金、後期高齢者の保険料などを除いた約4割ほどの公費負担もほとんどは現役世代や、そして国債という形で将来世代の負担となっている。

では、後期高齢者の窓口負担割合を一律3割にすることで保険医療費を削減でき、日本の社会保障制度の問題解決策に繋がるのだろうか。私はならないと考えている。これよりその理由について述べたいと思う。

先程引用した記事では後期高齢者の窓口負担割合を一律3割にすることで現役世代からの支援金の割合を減らせるだけではなく、窓口負担が上がることによる受診控え効果や70歳から74歳の窓口負担割合を2割から3割にすることも含めて少なくとも保険医療費が5兆円は削減できるというのである。

しかし、池田氏が「高度医療については高額療養費制度があるので、一般加入者でも月5万7600円、住民税非課税世帯(後期高齢者の多くはここに含まれる)は月2万4600円が負担の上限である。」と述べているように窓口負担割合を一律3割にしたところで高額医療の受診控えには繋がらず、逆に窓口負担が上がったことによる低額医療の受診控えが症状の悪化をもたらし、結果的に高額医療を受ける必要になり、かえって保険医療費がかかるかもしれない(この説に関しては反対意見もある)。また、保険医療費の内訳は低額医療の頻回受診ではなく高額医療におけることの方が大きいと思われるということを踏まえるとそこまでの保険医療費の削減には繋がらないと思われる。

さらに低額医療と高額医療とは何かについて掘り下げるとすると、低額医療とは、睡眠薬や湿布などの公定価格が低額な医薬品など、言うなればコスパの良い医療である。低額医療は、低いコストで患者を満足させることができる。それに対してガン治療に使われるチェックポイント阻害剤などの医薬品や最近話題のTAVIなどの手術は公定価格が高額であるため言うなればコスパの悪い医療である。高額医療は膨大なコストがかかり、しかも深刻な症状に対して使われるため、患者が満足するかも難しいところである。

そのことを踏まえた上で後期高齢者の窓口負担割合を3割に増やし、ただし高額療養費制度の対象外にはしない、という改革の仕方では保険医療費の削減にはあまり繋がらないうえに、後期高齢者に対して大きな不満を与えかねない。

よって、保険医療費削減のための改革は「後期高齢者も含めた医療費窓口負担一律3割」や「後期高齢者も含めた医療費の応能負担」といった後期高齢者の負担を増やす方向ではなく、「後期高齢者の高額医療全額自己負担」や「後期高齢者の高額療養費制度対象外」といった後期高齢者が高額医療を受けられないようにするという方向でないと持続的な効果は見込めないだろう。"負担を増やす"べきなのではなく、"支出を減らす"べきなのである。その場合、高額医療を受けられずに苦しむ後期高齢者のための安楽死の合法化の議論も必要だろう。しかも、それは高齢化対策にも繋がる。

ちなみに後者のような改革をせずに前者のような改革をしようとするのであればしない方がいいだろう。

なぜならば前者のような改革をした結果、大した保険医療費削減効果があがらなかった場合、医療費削減のための改革は効果がないという印象を世間に与えてしまいかねないからである。まるで小泉内閣の構造改革のようにである。

日本が良くなるためにはイノベーションを除くと、介護問題も含めて働かない要介護の高齢者や働かない高額医療を受ける後期高齢者に早く死んでもらう、安楽死してもらうことであることは事実だろう。日本が悪くなっている原因を政治家の汚職や外国人に求めたところで根本的な問題は解決するわけがない。これまでのSNS上の反応を見ていればこの問題が解決できるようにはほぼ思えないし、日本の衰退はこれからも止まらないのではないか。ただ、成田悠輔氏を越えるカリスマ性のある政治家が出てくるのであれば話は別であるが。

追記
よく「高齢者の負担を増やしたところで現役世代の負担が減るわけではない」と言う人たちがいる。

「何言ってんだ」と言う感想しか出てこない。

総人口に占める高齢者の割合が上がり、逆に総人口に占める現役世代の割合が下がっていけば、一人当たりの高齢者の負担を増やしたところで現役世代の負担が減らないことは当たり前である。一人当たりの高齢者の負担を増やした後に総人口に占める高齢者の割合を、少なくとも上がらないようにしなければ、現役世代の負担が減ることはない。ただし、総人口に占める高齢者の割合が上がり、逆に総人口に占める現役世代の割合が下がっている現状を止めないまま、一人当たりの高齢者の負担を増やさなければますます現役世代の負担が増えることも、また事実である。よって、高齢者の負担を増やそうという議論がなされているわけである。

しかし、私は高齢者の負担を増やそうという議論では根本的な解決策にはならない(なぜなら高齢化を止めようとする、歯止めを効かす政策ではないから)。結果、高齢者を「命の選別」をすることによって減らさざるを得ない。よって、先程述べたように「介護問題も含めて働かない要介護の高齢者や働かない高額医療を受ける後期高齢者に早く死んでもらう、安楽死してもらうこと」といった「命の選別」をする必要があると私は主張しているわけなのである。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?