写真と思い出

振り返れば11月の休みの日は必ず写真を撮っていた。
予定を立てにくい状況にはあったのだが、それでも時間ができたら写真を撮るという、新たな習慣が作れた気もする。

今月は昔を思い出す事が多かった。
変わり続けた景色を、変わったことに気づかないままシャッターを切っていたのかもしれない……。

高校生の時にはインターネットの普及が始まった時期。
まだまだ雑誌が力を持っていた。
そんなことを思い出した日もある。
考えてみれば、あの頃から考え方は変わってないので、撮影してるものが異なるくらいでスタンスは変わらないのかもしれない。

大学生になると周りとの温度差に軽いショックを受けたのと、同じ趣味の人間には出会わなかった事もあり、完全に火が消えていた。
(高校で禁止されていた事をやり切りたかったのだがそれが染髪やピアスにタトゥーだったこともあり、周りはそんなことには興味がないか、染髪位なら経験済みだったのだ……。)
だからこそ就活の際には好きなことや得意なことを思い出せるでもなく、何より上について行きたくないと言う姿勢もあり、妥協した就職をしてしまった。

運が良いのか、悪いのかはわからないが社会人一年目がリーマンショックの年。
「リストラされたら仕方ないし、むしろ経験になる」と変にポジティブではあった。
特に給与が良かったとかはなく、バイトに戻ってもやり直せると気楽な考えは持っていた。
しかしながらここで「ホントにやりたい事は何だろうか?」とか改めて向き合う日々でもあった。
これだけの事を就活でやれていたらいざなみ景気の恩恵はあったのかも知れない……。

カメラは気づけばデジタルカメラになっていた。
コンパクトデジカメを買ったのだが旅行に行くからと言う理由でしかなく、やはり写真への熱はそこまではなかった。

転職をした。
少し経ってから同級生の誘いで旅行に行った。
この時にスイッチが入ったかもしれない……。
「コンパクトデジカメではなく、しっかりしたカメラで写真を撮りたい」と思った。
そこからは貯金を作り一眼レフカメラを買った。
本当に欲しかった機種は、重すぎて持ったときのストレスが大きく、1つランクが下のカメラにした。(とはいえ当時の基準ではスペックはそこまで開かず許容範囲ではあった。)
余ったお金は三脚の購入に充てた。
こちらも、軽くて高いカーボン製ではなく、安くて重いアルミ製にした。
これは重い方が安定するからと言う考えであり、安くて安心できるものを買えたと思っている。

そして病気を理由にフリーターになった……。
時間は作れるがお金があまりない。
何より仕事を1番に考えていきたいが会社員以外の働き方にシフトしたい。
そんな事を思いながらも、カメラはまた下火になっていった……。

結局、起業できるようなアイデアもスキルもなく、とりあえずという形で再就職をした。
ここで遅くなったが初めて一人暮らしも経験した。
流石に溺れることはなかったが、実家ぐらしにはない自由と気楽さを満喫していた。
もはやカメラはオブジェとなっていた。
一度、手放そうかと考えたこともある。
今思えばここで(使う方向に)切り替えれば良かったのだが、直感的に「手放すのはダメだ!!」と感じた。
その直感の意味がわからぬままに、それでも残しておいた。

振り返ると年に数回は使っていたのだから、やはり手放さなくて良かったのだろう……。

先輩のお誘いで毎月、下北沢にライブを見に行っていた時期がある。(その先輩はミュージシャンでライブに出る契約をとったらしい……。)
その時には「楽器"も"やってみたい」と感じており、ライブに行くたびにそれを強く感じるようになった……。
冬のボーナスで入門用のアコギをセットで買った。
とりあえず譜面台やギターを立てかける台と入門用の本がつくからセットにしたのだ。

広がりではなく、とっ散らかっていく日々だった……。

全てをリセットしたいと賃貸の契約満了を理由に引っ越した。
この時には本や服はある程度、処分したのだがカメラとギターはなぜだか手放してはならないと持って行った……。
引っ越した先で引越初日にトラブルがあり、1ヶ月で引き払うことにした。
本はとりあえずバンバン手放していった。
洋服は減らせるほど持ち合わせてはいなかったのでそのままだった。
家電は近くのリサイクルショップに引き取って貰えた。
(余談だが1000円つけてくださった。処分が大変なので引き取りで構わないと泣きついたのだからありがたい話ではあった。)

そして、実家に戻ることになる。
結局、ギターは使わないのにスペースをとるからとリサイクルショップに持込むことにした。

そしてコロナ禍に入る。
仕事は蒸発してしまい、有り余る時間の中で創作欲が湧いてきた。
小説でも書こうと思ったのだが、集中力が持たない。
それならばと散歩がてらカメラをぶら下げることで、写真を撮ることにした。
久々に楽しい時間ではあった。

そういえば、高校生の時には進学先としてデザインの専門学校と写真の専門学校と中国で迷っていた事を思い出した。
カメラマンになりたかった時期もあるのだ……。
(当時はフィルムカメラなのでランニングコストが高く、思い切り練習出来なかった。)
気づけばカメラのポテンシャルを引き出すようにいじくり始める日々。
Wi-Fiを積んでいないことやスペックが見劣りするようになり、先行投資としてカメラを買い替えたいと貯金を始めた。
(余談だがいきなり買うのではなく、貯金を始めることで熱を高めていくほうが個人的にはあっている気がするのです。)
なぜだか動画にも興味を持つようになった。
(これは単にスマホで動画を撮ることから興味が広がっただけ。)
リスキリングとしてビデオカメラを先に購入する形になった。
カメラはまだミラーレスに移行するかの見極めをしたかった……。
「会社が倒産したらカメラマンになれないだろうか?」とさえ考えていた。
そんな日々が続いた。

昨年には「評価される写真」を知りたくなり、コンテストに応募するための撮影にも励んだ。
賞を取ることではなく、応募することをゴールにする事で、やり切るしかない状況を作り出すことも出来た。
フィードバックはなかったのでわからないが入選はしなかった……。
わかりきっているが、僕は天才ではない。

そして仕事が戻ってきた……。

仕事が戻ってきてからは時間が足りないとは常々感じている。
他に読書会への参加も大切にしたいと、継続している。(本当ならばアフターのランチも行きたいのだが、こういった時間の都合から最近は、お断りしており少しばかり心苦しく、寂しくもある。)

とにかく時間が足りない……。
だけど楽しい!!
反省すべき点は、もっとコンスタントに写真を撮れば良かったという事くらい。

そんな流れを思い出していた……。
そして思う。
記憶はいつだって淡くて儚いから当てにならないし、思い出はいつだってどこか苦い……。
記憶よりも記録なのだろうし、記録があれば記憶は引き出せるのだろう……。

今月は本当に過去を思い出す事が多かった……。
だからこそ未来を楽しもうと強く思った……。




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