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束の間リフレッシュ (長い日記)

仕事で遅くなった金曜。送ってもらう車の中で聴いたのは昭和名曲メドレーであった。
少し前の記事で、中島みゆきの悪女という曲について書いた時、登場人物のマリコについて職場でも話し過ぎてしまったのか、Sさんには私が古い曲が好きな人としてインプットされたようで
「昭和名曲メドレーとか聴いちゃう?」と気を回してくれたのだった。
この時は疲れていて、なぜに昭和名曲?と疑問だったのだけれど、よくよく考えてみればあの時のマリコが尾を引いているに違いなかった。
「いいですねー」と答えつつ、サザンオールスターズとか、レベッカあたりが流れてくることを想像していた私は、流れてきた壮大な前奏にこれは一体何の曲だろうかと頭を捻った。
「ハァ〜 テレビもねェ ラジオもねェ 車もそれほど走ってねェ  ピアノもねェ バーもねェ お巡り毎日ぐーるぐる」
吉さんではないか。
私も、Sさんもこれには笑った。車内にまで充満していた疲労が一気に吹っ飛んでいった。改めてすごい曲だ。日本のラップの始まりは吉幾三だったんじゃなかろうか。
吉さんのインパクトが大きすぎて、その後も流れる昭和名曲はスルーで「住みなれた 我が家に」どっちが似ているか対決となる。
私の方が似てるでしょ、いやいや無いでしょう、と話すうちに自宅の前に到着し、笑ったままじゃあと別れた。

吉さんのおかげで上がったテンションも、帰宅するとすぐに下がった。エレベーターの中ではさっきの余韻にまだ微笑んでいたのに。
週末はゆっくりしていようかな。部屋着のまま、たくさん映画を観ようかな。そんなことを考えながら、朝のあまりご飯を納豆とキムチ、めかぶで流し込む。開けた缶ビールは半分以上残したまま、エビのように丸まって眠った。

翌朝、6時にむくっと起き上がった私は、流れるようにトレパンに足を通した。
トレパンと言っても今日のトレパンはトレーニングパンツではなく、トレッキングパンツである。(テッテレー)
私の場合、目覚めと同時に「疲れた」と感じた時、大抵心の方が疲れている。それならいっそ身体の疲れに置き換えてしまえ、というのは私のよくやる回復方法である。身体の疲れより、メンタルが疲れたまま過ごすことの方がよっぽど不快なのだ。

この時間から電車で一人で行けるとなると、やっぱり高尾山しか思い付かず、ザックにとりあえずのレインウェア、タオル、水1リットルと、電車の中で読もうと向田邦子全集(まさかの単行本)を詰めて新宿へ向かった。

電車で山へ向かうのも、高尾山も、久しぶり過ぎてどうやって行くんだっけ?と乗り換え案内で検索すると、なんと今は京王線からMt.TAKAO号という電車が出ているらしく、プラス440円払えば全席指定で高尾山口まで43分で連れて行ってくれるというから喜んでプラス440円をお支払いした。ちょうど電車が出発するところでタイミングも良かった。車内はちらほら人が座っていたけれど、ほぼ空席。最高。キオスクで買ったパンを少しかじって、ザックから向田邦子全集を引っぱり出した。
やっぱり文庫本にすれば良かったかなと考えたが、この向田邦子全集は図書館から借りているものだから早く読み終えたかった。
私は、思い出トランプという本の「かわうそ」という短編が大好きで、向田作品はいくつか文庫で持っているのだけど、それでも図書館にある向田邦子全集を借りてしまうのには、太田光の書評が付いているというのがある。
これを読むまで、太田光は爆笑問題というベテランのお笑い芸人で、あまり空気を読まない騒がしい人、というイメージだったのだけど、思い出トランプの書評を読んだ時にそのイメージは一変してしまった。
太田さんも「かわうそ」についてはとても熱く語っていて、面白い!と声に出してしまったと書かれていたと思うけど、私もそうだった。それに向田邦子について恐ろしいとも言っていた。彼女が悪びれもせずに書いている内容に比べれば、私がやっていることは小さな悪戯みたいなことではないか、それなのに世の中は向田邦子を賞賛し、私はなぜ炎上するのか、と。いやいや、太田さんが生放送の選挙特番である政治家にいつ辞めますかと聞いてしまった時、私ですら背筋が凍ったけど、でも確かにね、と向田邦子を通して会話をしているようで、読んでいて楽しい。よほど好きなのだなということが文章から伝わるし、それが的確で共感する。
正直、少しのとっつき難さを感じていたお笑い芸人は、文章を通せば、熱い気持ちを共有することのできる話し相手になっていた。もちろん、一方的になんだけれど。
結局、引っぱり出した向田邦子全集は5ページほど読み進めたところで眠ってしまい、間もなく高尾山口に到着しますよという車内アナウンスで目を覚ますのだった。

高尾山口の改札を出ると、これから高尾山に登りますよという人で溢れていた。
お洒落なカップルだったり、登山仲間だったり、子どもを連れた家族、老夫婦、ここに全世代が揃っているという感じ。
和気あいあいとした雰囲気から、高尾山は観光地なのだなぁということを感じる。いつも山に登る時は、すれ違う人たちから仄かに緊張感を感じるのだけど、ここにいる人たちからは全くそういう気配がなかった。

お天気にも恵まれて、改札で貰ったパンフレットに目を通しながらウキウキ登山口へ向かう。
ケーブルカー乗り場の左側の道を進むと、今日登る予定のルート、6号路に入っていく。
歩いて登る人もたくさんいる。徐々に緑が濃くなって、舗装された道が土と石になり、流れる水の音やウグイスの鳴き声が聞こえ始めた。私のテンションは更に上がって早足から軽く走り出して、高尾山は登山者が多いから走っちゃダメだという話を思い出して、おっと、と早歩きに戻した。
それでもスタスタと歩くと心拍が上がって、顔が赤くなるのがわかる。背中がじんわりと汗ばんでくる。ああ、来てよかった、気持ちいい!
気分はわーいわーいのウイニング早歩き。登り始めなのにもう勝利。
その気持ちが前を登る人を煽っていたのか、何度か「お先にどうぞ」と道を譲っていただいた。
きっと高速道路で後方にちょっと気持ち悪い動きをしている車があると「やだ、ちょっと先行かせちゃおうよ」というアレである。
その後もスタスタと足早に登り、植物の写真を撮っている人がいれば「なんの植物ですか?」と話しかけ、屈んで蝶を鑑賞している人があれば「逃げないですね」と一緒になって屈んだ。どちらも急な私の登場にビクっとされていたが、笑顔で「ハナネコノメ」と「テングチョウ」だと教えてくれた。
テングチョウを一眼レフで写真に収めている傍らで、一緒になってスマホに収めていると、背後から何やら慌てる声が聞こえてくる。屈んだままそちらに目をやると、男性がザックから双眼鏡を取り出して
「コウノトリ!?コウノトリじゃないか!どうしてコウノトリが!ええっ嘘だろう?」と髪の毛を鷲掴みにする勢いで取り乱している。
コウノトリの何が大発見なのか全くわからない私は、突然始まった寸劇を見ている気持ちになって、ふふっと一緒に屈んでいる男性に笑いかけたが、彼からしてみれば私含めて、突然巻き込まれたカオスだったのかもしれない。あの方たちにありがとうの花束を。

この日登った6号路は、山頂手前で木板で作られた長めの階段を上るのだけど、はぁはぁと肩で息をしながら、呼吸を整えるために立ち止まり、上ってきた階段を振り返った時に思い出したことがある。
実家にあるアルバムに、まだ幼い私がオーバーオールを着て高尾山の山頂でわたあめを頬張っている写真があるのだけど、その時も登って来たのも、この6号路だったのではないかということ。当時の階段はこんなにきれいな木板ではなくて、長い丸太が半分土に埋まった形の階段だった気がする。もう疲れてしまった私を母と母の友人が代わる代わるおぶって、抱いて、やっとのことで登頂できたのではなかっただろうか。母ではない人の腕に抱かれて、よいしょ、よいしょと揺れる景色が浮かんできた。そうか、あの頃は疲れてベソかいていたんだ。
それが今じゃルートタイム90分のコースを大幅に巻いて、山頂で蕎麦をすすり、ビールを飲んでいる。ただでさえ美味しいのに、汗をかいた後のビール美味しさよ。染み。

母と母の友人にお伝えしたい。
おかげさまで、こんなに大人になりました。
こんなにというより、こんな大人になってしまった私は、蕎麦もビールもちっとも足りず、早く帰ってもっと飲みたい!と急いで山を下るのであった。


6号路
ハナネコノメ
テングチョウ
たぶん天国への階段
山頂 霞みがちな富士山 左に丹沢
ちっとも足りないのよ
薬王院
たこ杉
天狗焼 (焼きたて)
黒豆餡だ!


仕事に埋もれていて、久しぶりに書いたらえらく長くなってしまった…(あわあわ)
というわけで、山始めは高尾山でした。
今年はどんな山に登れるかなって考えると、頑張れる気がするよ。

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