1 社不と文学について 月と6ペンスから

 どいつもこいつも記事を書く。だから俺も記事を書く事にする。俺は元々、本しか無いタイプではなかった。休み時間は図書館に行くより皆でドッジやサッカーに行ったし、放課後は公園で鬼ごっこをしたりゲームしたりしていた。それは高校生になってもだ。俺は人並みには本を読んだが、別にそれは数ある選択の中の一つに過ぎなかった。
 君はないだろうか。明くる日急に、言語化できない感覚に襲われる事が。俺にとってそれは失恋の瞬間でも、夕焼けを見た瞬間でも、祖父を亡くした瞬間でも、他人の犠牲に気付いた瞬間でもある。文学は残酷だ。思い返してみれば、村上春樹も、川上未映子も、最近売れた小説家達は、文学しか無かったと言えるだろうか? 多彩な才を持ちつつ、文学という道を選んだのでは? 文学とは明くる日急に訪れて、その芸術を開花させてしまう。そんなような事は村上春樹の「職業としての小説家」に書かれている。彼が野球場で得たその感覚が、彼を小説家にしてしまった。俺の周りではよく、社不だから、生きづらいから小説家になろうとするみたいなムーブメントを良く見る気がする。しかし、彼らには本当に小説家としての感覚はあるのだろうか?
 ストリックランドは満たされた生活環境と家族を捨てて、パリへ向かった。小さなボロアパートに住み、ひたすらに絵を描いた。月と6ペンスを読んでもう1年以上経つから朧げな部分もあるが、最初は大まかにこんな感じであろう。一言で纏めるならそう、彼は絵のために生活を捨てた。彼は最初から持っていて、その上で捨てたのである。最初から持っていなかったのとは全然違う。彼は明くる日にある感覚を抱いて、それは生活を捨てさせる程強烈なものだった。彼のアイデンティティや社会的地位を根こそぎ奪って、うぞうぞとした芸術に身を投げさせたのである。
 文学しか無かったからといって、成功しないという訳ではないだろう。だが、それは強烈な感覚を持たなくていいという事に結びつくだろうか? 月と6ペンスは是非読んでほしいので内容にはあまり触れないが、芸術と向き合うという事は、周りの人間までに力を及ぼす強烈な磁場を形成する。芸術は身を投げるものであって、己の立場を保障してくれる「何か」ではない。
 俺は危惧している。図書館でぼっちで本を読んでいたような人間ばかりが、己のアイデンティティの為に小説家を目指す行為にである。社不だから小説を書くのでは間違っている。小説を書く事によって社不にならないといけない。純文学の小説とはそもそも、長いページ数を使って、表現を迂回させつつも、それでも書かねばならない事を書くのである。彼がタヒチに行って壁一面にそれを書いたように、彼には壁を埋め尽くす程に書かねばならない何かがあった。
 俺は言いたいのだ。君たちにはどうしても書かねばならない事が、あるのか? 澱のように積もる生活の生きづらさを、吐き出したいだけじゃないのか? 君は何かどうしても表したい事を、伝えたいものを、疑問を、持っているのか? 芸術は、個人のものじゃない。自己満足でもない。他者に何かが伝達される事で初めてその価値を持つ、いつか誰かによって書かれるべきだった結晶。ストリックランドは酷く独善的なエゴを持つように見えて、その心は人間全体へと向かっている。その証左が、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」 。
 芸術について、太宰がいい事を言っている。すみれの花だという有名な喩えである。作家は豚であるが、すみれの花の匂いを嗅ぎ分ける事ができるのだと。俺は思うのだ。豚である事の免罪符の為に、作家になろうとしていないか? 本来はすみれの花の匂いを嗅ぎ分けられて初めて、豚から作家に昇進するのである。はっきり言って俺は自分の文章にも、強烈に書かれるべきだった何かを感じたのは数度の事である。だが、それを持っているのだ。だから生活を捨てる事ができた。
 駄文を書いた。次回は作品の感想を書いて、考察をして、どのような役割を持つ作品なのか書いて、楽しくやりたい。人に文句をつけるようなものは書きたくない。何より忙しいので、次がいつになるかわからないが。最近あんまりにも、生き辛さエピソードだけを書いて、それが何にも向かってない文章を目にするものだから我慢ができなくなった。書くべき事は、生き辛かった。だから……なのである。太宰は非常に生き辛かった作家であろうと思うが、作品はそれに終始するのではない。斜陽も、人間失格も、道化の華も、表されている。生き辛さの中で書かれるべきだった事を、彼はその嗅覚で知っていたのだ。社会不適合者の烙印を自分や他人に押された皆さん。芸術家は貴方達の救済場では決してない。だから貴方は貴方の置かれた人生のなかで、貴方によって書かれるべき必要性があった事と向き合わなくてはならないのである。



 


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