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ゴーストじゃなくなったワールド

昨年の3月、わたしはこんな記事を書いた。


テレビ画面に映るのは、一列に並ぶ黒服の男性たちと、その真ん中でひときわ目立つ金色のドレス姿の女性。彼らがロックンロールに合わせて踊り狂うインド映画の一コマを、アパートの住人たちはまずそうに煙草を吸いながら、あるいは無気力に椅子にもたれかかりながら、いかにもつまらなそうに眺めている。そのなかにあって、赤いケープのようなものをまとった、黒縁めがねのおかっぱ少女だけは、カラフルでごちゃごちゃとした部屋のまんなかで、曲に合わせて一緒に踊り狂う。しかしそのわりにはどこか浮かない表情をしているようにも思える。画面は切り替わり、高校の卒業式。「High school is like the training wheels of the bicycle for real life.(高校とは人生という自転車の補助輪です)」という卒業生代表挨拶をする少女を、さきほどの赤いケープのおかっぱ少女が、軽蔑の眼差しで眺めている。

この出だしを、わたしはこれまでに何度観たことだろうか。映画『ゴーストワールド』はわたしが一等好きな映画だ。主人公のイーニド(ソーラ・バーチ)は、斜に構えた女子高生。親友のレベッカ(スカーレット・ヨハンソン)と二人の世界に入り込み、まわりからは変わり者扱いされている。高校卒業後は二人とも大学には進学せず、就職して二人で暮らす計画だ。ようやくバカばっかりのルーザーたちから離れられると、高校に中指を立てる二人。しかし雲行きは怪しくなる。レベッカはコーヒーショップに就職し、「毒を盛ってやりたくなる」ような客を相手に大人の階段をのぼっているが、イーニドはいつまでもふらふらとし続ける。そんなとき、レコードコレクターの冴えない中年男シーモア(スティーブ・ブシェミ)と出会い、イーニドの人生は思わぬ方向に進んでいく。

はっきりいってイーニドはトラブルメイカーだ。常に何かに苛々とし、その苛立ちをまわりにもぶつけて翻弄する。サブカル女を気取って、まわりを突っぱねているような印象を与えるが、その実、彼女は疎外感に押しつぶされそうになっている。くだらない連中ばっかりの高校を威勢よく飛び出したはいいけれど、大学に行くでもなく、就職するわけでもないため、着地する場所が見つからない。父親と二人暮らしだが、その父親も昔付き合っていた女性とよりを戻したため、家にも居場所がない。ルーザーだと見下していた同級生たちは、自分で決めた将来に向かって着実に歩みを進めている。似た者同士だったはずの親友すらも、就職して大人になっていく。「女子高生」という肩書を失い、何者でもなくなってしまった自分だけが、宙に浮いたまま、本物のルーザーになろうとしている。

イーニドのことを思うとたまらない気持ちになる。たぶん、イーニドは誰よりも純粋で素直なのだ。「変わった女の子」という周りからの印象にがんじがらめになって、「変わった女の子」でなくてはならないと思っているけれど、実はメインストリームも好きだし、同級生のイケメン男子のことも好きなのだ。思い出の品も捨てられない。そんなイーニドを見ていると、昔はとても苦しかった。なんだか自分を見ているみたいで。でも大人になったいまの私はイーニドに寄り添って、大丈夫だよと背中をさすってやりたくなる。みんなだって変わるのは恐いんだよ、大人になるのは恐いんだよ、急がなくてもいいんだよ、と。

あの結末にはさまざまな捉え方があるようで、私もいまだによくわからない。というか、観る度に考えが変わる。20年も経った映画にネタバレもなにもないとは思うけれど、もし未見で興味をもたれた方がいたら、ぜひご覧になって、どんな印象を持ったか教えていただきたい。


これを書いた当時に私に言いたい。あんた、2023年末に、映画館で『ゴーストワールド』観ることになるよ!

そう、2023年に『ゴーストワールド』がリバイバル上映されたんです。Xでその情報をたまたま目にしたときはぐへぇと変な声が出ましたね。だって、2001年の映画ですよ? 22年ぶりですよ? 20年ぶりとかだったらまだわかるけど、なぜ22年経ったいまなの? 謎過ぎるけどなんだっていい、私の一等好きな映画、でも映画館では観たことのない映画、観ることはないと思っていた映画を、スクリーンで観るチャンスがやってきた!

ここしかないってタイミングの、平日朝イチの回を一人で観に行ったんです。もしかして貸し切りだったりして……なんて期待半分不安半分で行ったんだけど、同志の多いことよ(笑)たぶん一組以外はみんなおひとりさまで、しかもだいたい同じくらいの年代だった。ああ、この人たち、きっとみんないまの私と同じ気持ちなんだろうな、と思うと、会っていなかったこの22年の間にみんな何やってたの? どう過ごしていたの? って語り合って、思い出話に花を咲かせたい気分だった。

映画冒頭のあの曲のイントロが流れた瞬間に、私の感動メーターは振り切れました。始まりの例のセリフを心の中で一緒に唱える。最高。内容も展開も知り尽くしていて、台詞まで言えてしまうほどの映画をスクリーンで観る、という経験は初めてだったので、知り尽くした映画なのにとても新鮮で、観に行って本当によかったです。

もともとは映画観賞がとても好きだったのに、人生における優先順位はかなり下位のものになってしまった。2時間前後の映像を見続ける集中力がなくなってしまったというのも原因の一つだけれど、なによりも観たいと思う映画がなくなってしまったのが大きい。これが年を取るということなのだろうか。電車にのってミニシアター系の映画を観て、そのあと間に合うかどうかハラハラしながら地元の映画館にすべりこんでマーベル作品を観たあのGWは何年前のことだったか。尻の痛みと尿意に耐えながら鑑賞した『クラウド・アトラス』の長かったこと。初めて映画館の貸し切り状態を体験したインド映画。「a long time ago in a galaxy far, far away」の文字が流れてくるだけで目元のダムが決壊してしまうスターウォーズ。『パシフィック・リム』はいまも夏になるとNETFLIXで観るけれど、やっぱり劇場で観たときのあの興奮は味わえない。去年久しぶりに行った映画館はやっぱり最高で、だから映画鑑賞の熱も戻ってくるかと期待したけれど、結局戻らないまま半年以上が経ってしまった。こんなふうに、昔はよくああしたな、こうしたな、と思うことがこれから先どんどん増えていくんでしょうね。


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