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わたしの好きなものもの・16

エピソード16
ラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』

その夜は雨が降っていた。
母と妹は父と先に帰り、わたしは一人で車を走らせた。音楽を聴く気持ちにはなれなくて、でも気を紛らせておかないと心細さに泣いてしまいそうで、だからわたしはラジオをつけた。いつもの声が聞こえてきた。そうか、もう月曜日の深夜1時をまわっているのか。ラジオから流れる聞きなれた声にほっとした。日常に戻れたような気がした。

わたしとラジオとの関係が始まったのは、中学生の頃。友人のひとことがきっかけだった。その友人は、ある俳優さんのラジオを愛聴しているのだと言った。当時のわたしはラジオを聴く習慣もなく、その俳優さんの存在すらも知らなくて、「やっぱり年上のきょうだいがいる子って大人だな」と思ったことを覚えている。その後、たまたま親戚からラジオを譲り受ける機会があり、それをきっかけにして、友人もすなるラヂヲといふものを、われもしてみむとてするなりと、AMラジオ、特にTBSラジオを聴くようになった。なぜAMなのか、なぜTBSなのかといえば、家の立地の関係で最もクリアに聴けるのがTBSラジオだったからだ。テレビとは違う、声だけの世界。誰だか知らない男性が一人で話して、一人で笑っている。なんだこれは。『宮川賢の誰なんだお前は』という番組だった。宮川賢、誰なんだほんとに。誰なのかわからないまま、わたしはすっかり誰おまリスナーになり、なんならリスナー登録までしてステッカーをもらった。なぜか二枚送られてきた。ラルクの箱番組があったのも、この誰おまのなかだった。宮川賢、いや、ラジオキングことラジキンさんの顔は実はいまでもよくわからないままだが、声はいまでもいつでも鮮明に思い出すことができる。誰おまを聴くのが毎日の楽しみだった。

しかし、本当の出合いはそのあとにやってくる。

ある夜、わたしはラジオをつけたまま眠ってしまった。夜中、ふと目を覚ますと、ラジキンさんではない、別の男性がしゃべっていた。もちろん世の中にはラジオ番組というものがあまた存在することはわかっていたけれど、わたしの世界には誰おましかなくて、だからその時間が終わればラジオは静かになると思っていた。よもやそのあとも誰かが同じようにしゃべり、笑い、ハガキを読んでいるとは想像できなかった。で、結局誰なんだこれは。おもしろい。くだらない。だから誰なんだこれは。しばらく聴いていると、その男性が伊集院光であることがわかった。これが伊集院さん? あの? テレビの印象とは全然違うことに戸惑いつつも、わたしはしばらく聴き続けた。翌週も、その翌週も。そうやってわたしは馬鹿力リスナーになり、現在に至っている。

父親が亡くなったのは月曜日の夜だった。大きかった体は小さく小さくしぼんでいて、でも手はしっとりとあたたかかった。わたしとそっくりの爪の形。眠るように、なんてとても言えない、苦しそうな最期だった。各所への連絡やさまざまな手配を済ませ、ようやく迎えが来て、母と妹は父とともに、わたしは別の車で、家に帰った。父親が死ぬことはある程度覚悟ができていた。だから最期の瞬間を目の当たりにしてもわたしは泣くことなく、その姿をしっかりと目に焼きつけ、手のぬくもりをしっかりと記憶することができた。でも雨降りの深夜、ひとりで車を走らせているうちに、自分がどこにいるのか、何が起きているのか、本当に現実世界にいるのか、わからなくなってしまった。父親が死んだ? 嘘でしょう? もう話すことはできないの? 数日後には形もなくなってしまうの? 帰ってくることはないの? 

そんなとき、ラジオから聴こえてきた伊集院さんの声。そのとき初めて、その日が月曜日であったことを、深夜1時を過ぎていることを知った。これが現実であることも、父とはもう話すことができないということも。

不思議なもので、伊集院さんのラジオはGO!GO!7188のように思い出に押しつぶされて聴くことができなくなってしまうことはなかった。わたしはずっと馬鹿力リスナーであり続けたし、それはいまでも変わらない。もしかしたら、わたしは深夜の馬鹿力を聴くことで父親のぬくもりや声や爪の形の記憶を更新し続けているのかもしれない。伊集院さんの声さえあれば、わたしはいつだって父を思い出すことができるから。あれが雨降りの月曜深夜であったことを覚えていられるから。

雨降りの月曜日から16年が過ぎた。そのうちふらっと帰ってくるだろうと思われた父は、まだ帰ってこない。

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