私の考える2024年問題

色々と国の施策も朧気ながらチラ見えしてまいりました。
果たして現役の物流業界の方々にはど映って見えているのでしょうかが気になりますが。

今回のお題の「私の考える2024年問題」について前もって端的に考えを示しておきますと

働き方改革なんぞやめてしまえ

その一言に尽きます。

百歩譲って「2024年問題の解決」を探るならば、
ドライバー・運送会社だけではないと思うのです。

かといえ私の主張の根本は「ドライバーの処遇改善」
そしてひいては「運送会社の処遇改善」とはなる訳ではありますが、

これは荷主様を敵視しても、とても処遇改善には向かわない問題だと考える次第です。

むしろ荷主様も抱き込む(協力を仰ぐ)のが僅かであろうと処遇改善の道筋には繋がるとさえ思うのです。

例えば国は「トラックGメン」とか薄ら寝ぼけたようなネーミングで荷主側・荷受け主側への働きかけとか言ってるようですが「働きかけ」って何ぞやでさえ示せない現状です。

なぜならば、その「トラックGメン」なる組織?が
⑴、なぜ待機時間を削らなければいけないのか。
⑵、なぜ待機場所を確保しなければいけないのか。

それが理解できていないという印象が拭えません。

だからこそ、トラックGメンが荷主側・荷受け主側に
「○○コレコレ・○○こうだから、あなたのところはこれを改善しなさい」
と指摘し、どんな対策がされたらトラックGメンが「働きかけ」したからこのようによくなった、というビジョンが描けていないんだと思います。

ならばやっぱり直接的に対策を講じていただきたいと働きかけるのは
自然と現場を知る人間であることが相手が必要性を理解するスピード感もあり、より具体的で実効的な対策をしていただけるのです。

一例として

運送会社A「○○さんご相談なんですけど、待機場所を整備していただけませんか?」

荷主・荷受け主B「なんでウチが。経費もかかるんだよ。経費をかけて待機場所を整備するメリットは?」

運送会社A「Bさん、例えばですよ、待機場所がないからと言ってドライバーが荷の積み付け省いて走ったら荷崩れ事故の原因になるかもしれないんですよ。」

荷主・荷受け主B「そんなの弁償だろう。当たり前だ」

運送会社A「弁償は弁償で本当にBさんにメリットありますか?顧客の会社にBさんも謝るハメにはなりませんか」

荷主・荷受け主B「そんなのウチの問題じゃない、次の荷主・荷受け主の問題だろう。ウチは知らんよ」

運送会社A「もちろんそうなのかもしれませんが、もちろん待機場所の整備のお願いはBさんのところだけにお願いするのではなくCさんにもDさんにもお願いするんです。コンパネ一枚使い・ラッシング一本・ワイヤーガッチャ一本かける手間を惜しむか惜しまないかだけで荷物の破損事故も減り
お互い嫌な思いしなくて済むじゃないですか。いずれは自分のところにも跳ね返ってくるのですから、ぜひ前向きに善処の検討お願いしますよ」

もちろんこの説明の仕方で良い返答が返ってくるのか?という問題はありますがこれは交渉の成功率について語っている一例ではなく、
前記した「荷主・荷受け主に対しての働きかけの根拠が示せているのかどうか?が大きな視点で考えてみてください。

はたしてお国のいう「トラックGメン」なる組織が働きかけるのに対して、
どちらが待機場所の必要性の理由と実効的説明・ができているかの問題だと思うんですね。

色々な方が記事やブログで書いて下さっているように
「物流業界というのは、ただ荷物を右から左ではなく、人と人の関係性の構築ができて初めて「社会の血液である物流」が回るのだと思います。

荷主が運賃上げてくれないから敵だ、ではなく相手も物流業界の一部であり役割がちがうだけで協力しあわないと血流は滞るのです。
血流が滞れば生き物は病に侵され弱ってゆくのだと思います。

もう時間はあるようでないのが現状です「処遇改善」に向けての仲間を一人でも多く味方につけて社会に訴えるしか道はないと思いませんか。

一足飛びに3万の運賃を30万にするのでは相手も強硬な態度になるでしょう、一歩ずつ3万3千円にして、3万9千円にして(具体的意図の数字ではないですが)善処してもらう検討をお願いして処遇改善を実現したいですね。


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