もうここで学ぶべきことはないかな
もうここで学ぶべきことはないかな
人生において嫌な環境にいましても、そこで学ぶべきこと、又は、まだやり切っていない気持ちがありますとそこに縁がありますが、ある時にフトもうやり切ったからここを卒業しようとか、もうここで学ぶことがないからお別れしようという気持ちになることが人にはあります。
そういう人は次のステップに進みます。
私の場合は精神科に三回入院しましたが、三回目の時にもう精神科で学ぶことはないなと思い、ここで終わりにしようと思いました。
結婚生活ですと、女性が男性の家に嫁いで献身的に勤めてお子さんも育て終わった後に、もう家ではやり切ったと旦那に愛想を尽かして出ていくこともあります。
仕事でもそうです。
人は自然と苦労する環境にいましてもそこで学ぶべきことが終わると自然ともうここでは学ぶことはない、やり切ったと思い、次のステップに進むことになります。
時が来るまでは自分が嫌だと思っても嫌な環境からは物理的に抜け出せないようになっているのです。家庭ですと「お金もない子供もいる頼るべき身内もいない」などで家庭から抜け出せずに20年30年かかってその環境から卒業することもあります。
その苦労は自分が運が悪いとかではなくて、生まれる前に自分が苦労するように自分が設定していることが多いのです。ある意味、苦労は運が悪いのではなくて自分が設定した通り順調なことなのです。
苦労して働かれてきた方は心の織物がキレイに出来上がります。
織物は縦糸と横糸がありますが、
縦糸は自分で
横糸はこの世の出来事です。
大事なのは縦糸で自分の心なのです。
この世でどんな出来事が襲ってきても自分がしっかりしていればキレイな織物になります。
なので、自分の不幸を恨んでは行けないのです。
世の中の荒波に育てて頂きましたありがとうございましたなのです。
人生は「感謝と謙虚さ」を常に忘れては行けません。
お読み頂きありがとうございました
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