中学入試

もう12歳の春の試練は全て終わった頃だろう。
みんな希望の中学に合格しただろうか。
私の場合は2校落ちた。
もう60年前の話だ。
あの日は大雪のあとだった。
試験会場まで寒い思いをしながら私鉄を乗り継ぎ、母親に手を引かれて行った。
教室の窓ガラスの結露が今でも記憶に生々しく残っている。
『もしこの学校に合格したら、通えるかどうか』と不安になる程、小学生の私には遠いところにある学校だった。
合格したのは1校のみ、大学の附属校で、中学へ入れば余程のことがない限り大学へ進学できる。
つまり適当に勉強をしていればその大学へ行ける。
だがそれほど甘くはなかった。
それなりの成績を残さなければ志望の学部へは進学できない。
また、小学校とは異なる男友達ができて、悪い方へと引き摺り込まれ、気がつけば成績は尻から何番目?
真面目な、悪の道に引き摺り込まれなかった奴らはそれなりの成績を残していた。
またクラブ活動は付属校の場合は絶対に必要で、ともすれば教師から試験に出そうなことを聞き出せるし、先輩からは前年の答案用紙を見せてもらって参考にできる。
私は中学生時、少しばかり字が上手かった?ので書道部に在籍したが、夏の合宿で廊下でクラスメイトとじゃれあっていたら、教師に横っ面を思い切り引っ叩かれ、夏休みが終わったら即退部届を出して美術部に入ったのです。
高校に進学して書道の時間に筆を取っていると、かつて引っ叩いた教師がつかとそばに立ち、『きみ、字上手いね』と猫撫で声で言うではありませんか。
子供の心に傷を残すような教師は失格ですね。
そして美術部に在籍して高校2年生になると、美術が正課になり、新学期の部室へ行くと、なんと数十人の新入部員がいるではありませんか。
彼らはあわよくば試験の点数に手心を加えてもらおうという魂胆がみえみえで、おそらくそれまでも様々なクラブを渡り歩いてテストで良い点をもらう術を会得していたのでしょう。
ちなみにその年度の美術の成績は、唯一の100点満点でした。
他の成績?
それは聞かなかったことにしてください。
もうひとつ、高偏差値の受験校へ合格しても、人間形成にはなんの役にも目立たないと言うことを肝に銘じておきましょう。
オジキ3人と弟が開成、母親が桜蔭、息子が麻布という一家で、まともだったのは渡米したオジキくらい、あとは箸にも棒にもかからない人生の落伍者だらけだからです。

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