見出し画像

うつと生きていく。#05 ポジティブもいき過ぎると毒である。


うつになる前私は自他共に認めるポジティブ人間だった。

「そこまで前向きに考えられるなんて、
すごいね。」
とよく言われるほどに。

つまりは「極端な」ポジティブだったのだ。

一見すると、これはうつ病から遠い考え方のように見えるが、
私にとっては、これが発病の引き金になったとも言える、重要な性格因子だった。

楽観的とポジティブの大きな違い

ここで注目したいのが、
私はポジティブではあったものの、
全く楽観的ではなかったと言うこと。

ではこの二つはどう違うのか?

何かトラブルが起きた時、

楽観的→何とかなるでしょ?大丈夫!

ポジティブ→自分ならなんとかできる。やってやる!

だと自分は考えている。

しかも、自分は最悪の事態を想定するタイプのポジティブだったので、
Aが起きた時用の対策Aを用意し、
Bが起きた時用の対策Bを用意し、
Cが起きた時用の対策Cを用意し、

結果ABCどれも起こらない。
ということが多々あった。

私の中で、ポジティブは完璧主義と密接につながっていたのだ。
ポジティブ=自分なら何とかできる!
を維持するために、
完璧にしないといけない発想になっていた。

完璧を続け、成功体験を重ねることで、
無理やりポジティブを維持していたとも言える。

本来必要なやる気以上のやる気を捻出して、
無理に無理を重ねることになった。

結果、仕事は褒められ、
達成感で疲労とストレスをごまかし、
無理をさらに続けると言う悪循環が出来上がった。

楽観的思考の養殖を始める


自分のポジティブの危険性を察知してからは、
楽観的を目指したが、
これが難しい。

楽観的思考を天然で持っている人は、
根拠なく大丈夫という、

私からして見たら、
超能力級の能力を持っていた。

はっきり言って、後天的にこれを持つのは無理だ、
と早々に諦めた。

そこで、データと統計で、
楽観的思考を養殖することにしたのだ。

「最悪の事態を想定して、準備したが、
結果何も起こらなかった」
という、一見するとなんでもない出来事が起こった時に、
マメに日記とメモを残した。

何かが起こった時は、
あえて記録を残さず、

何も起こらなかった時だけ、
「準備したけど、何も起こらなかった!
よかった!」
と、事後に自分の意識に強く刷り込んだ。

この養殖法によって、
コロナ禍の子供の学級閉鎖を、
何とか平静なまま過ごせることとなる。

具体的なコロナ禍の事情は、
機会があれば書こうと思うが、
とにかく重要なことは一つ!

生まれつき楽観的思考がなくても、
無事に養殖できたということだ。

他にも色んな方法を多角的に試した末、
現在は、
だいぶ楽観的思考も育ってきたと思う。


うつに限らず、楽観的思考は人生を楽しくするものなのは間違いない。

この楽観的思考の養殖法が確立されることを祈る。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?