教育的暴力について


私は基本的に父親に育てられたと言って過言では無い。

母は忙しかった。当時母は国立病院(今の国立病院機構に所属する病院)の管理栄養士。帰ってくるのは夜中であったらしい。
私は父に似た性格の持ち主であったらしく、また少々ものの見方のひねくれた子どもであり、普段はとても子どもらしい子どもであったが、時折哲学者の顔を覗かせたらしい。
私の父は病院の調理師であって、子育ての専門家ではなく、私への育児は30年近く前のことであって当時はSNSもなかったから、
近所の繋がりや職場の繋がり、直系の祖父祖母また叔父叔母などから子育てのヒントを得たりしながら子育てしていたようである。
私は上から3番目であり、兄、姉に次ぐ次男である。
そんな中で父親はどうやら、上から押さえつけるように育児をしていたらしい。
しかし、私はその父親の育児に何度となく幼いながらにイチャモンをつけては否定し、最後には「僕なんか生まれてこんどけばよかったっちゃろ」と泣くらしく(私の育児日記に登場した言葉である)、結局父親は私の意見を尊重するという流れが何度となくあったようだ。
父は一筋縄ではいかないこの私を辛抱強く、時に反省しながら育ててくれたのかと思うと感謝に尽きない。

なぜこんな話をしだしたかと言うと、実は今も私の脳裏に焼き付く光景が、父の躾の疑問があるのである。

あれは私が4歳か5歳の頃だったと思う。
男の子はよくやるかもしれないが、私は当時兄貴にちょっかいかけては逃げるという遊びをやっていた。
兄貴は私が可愛かったのであるが、温厚な兄も激怒するくらい私はうざったい遊びをしていた。

そして、ある事件が起きたのである。
その日何をしたのか正確には覚えていないのだが、兄を怒らせた。怒らせた理由までは全く覚えていないのが申し訳ないが、兄が勝手に怒ったのではなく、間違いなく、「私が怒らせた」ことだけは覚えている。

兄は我慢の限界だったらしく、両手で私の首を絞めたのである。兄とは5歳差であるから、当時兄は小学3年生か4年生であり、当然力の差は歴然であるわけで、それでその事の顛末を知らない父は兄を引き剥がして、

なんと、兄の首に手をかけ、首を絞めたのである。

父としては、「他人の首を絞めるということがどれだけ大変なことか分かって欲しかった」のだろうと思う。
しかし、これが私の脳裏にこびりついてるのである。兄の顔、なぜ自分が……という顔。
そして、私は父からなんの罰の受けなかったのであり、なぜ僕は何も罰を受けないんだろう……
というその感情。

首を絞める父、その手に手をかける兄、茫然とする私。
この光景が頭から離れない。


力を力で支配することは可能かと聞かれたら、私はNOと答えるだろう。
例えば一時期は仮に力で押さえられたとしても、人間はおいさらばえるものであるから、永遠に力を力で支配できないのである。
とすれば、その時抑圧された力はどこに向かうのか。
答えは簡単である。

兄は基本的に家族関係の問題はなんでも力任せであった。
その淵源はどこにあるのかといえば、
父が兄にやってきたことを再生産しているのである。
幼い子どもの脳裏には愛された記憶が確かに刻まれる。
しかし、愛されなかった記憶というのも確かに刻まれるのである。

私は、幼いながらにこの事件に不条理を覚えた。それから、必要以上に相手が不条理に巻き込まれないようにすこぶる気を遣うようになった。私は幼い頃より、力を持つ人に好かれる・気に入られる傾向にあったのである。
故に、このままだったらその力(特権とか暴力)がどこにいくのか大変気がかりであった。

不条理に受けた恩恵は不条理を引き起こし、やがて自分に返ってくるのだと思ったからである。
ベクトルの先に自分がいたのを恐ろしいほど感じていたのである。

ともかく、力というものは大変厄介であり、使い方を間違えればとんでもないことになる。

兄と父に関してだが、
実は以前父が難病になり、倒れ、ほとんど寝たきり(室内は動ける)になった話をしたが、
兄が父に対して暴力を振るっていた時期があったのである。
私は父が好きだった。常に父に従っていた訳では無い。しかし、常に私に考えさせる力をさずけてくれた、考える機会をくれたのは父であった。父もまた私に対して考えたのだと思う。

しかし、その裏で犠牲になっていたのは兄であった。

私は今になって思う。
兄は抱きしめられたかったのである。
兄もまた「弟が悪いことしたんだよ」という言い分を持っていたのである。
しかし、長兄に生まれたが故にその意見は封殺され、父も兄も言葉が上手くなかったゆえに、こういう悲しいことがあったのである。

これから皆さんがもし、そういった場面に出くわした時はまず、話を聞いてあげて、
兄と弟の両方を抱きしめてあげて欲しい。

そして、言葉で誠実に諭してあげて欲しいと思う。
「弟くんそれは悪いことだからしちゃダメだよ」
「お兄ちゃん、それはやり過ぎだよ」

暴力は分かりやすく、罰になる。
そして何より、「時短」になる。

しかし、心というものは時間をかけて育むものである。
これを読んだ方々はよく考えてみて欲しいものである。
そして、あなたが私の父だったら、一体どうするであろうか。

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