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道東での「つながり」は未来の道に

 道東で5泊6日の旅をした。

「流氷を見たい」という気持ちだけで日本各地から集まった6人。

その旅を終えて、今思うことを綴っていこう。

北海道をアップデート

北海道に行ったことはあった。札幌と小樽。様々な光と音に包まれ、多くの飲食店や宿泊施設が立ち並ぶイメージ。スープカレー、お寿司、ジンギスカン、味噌ラーメン…美味しいものが溢れていた記憶があった。

 道東では、飲食店や宿泊施設を探すことに一苦労だった。夜になると、真っ暗で静けさだけがあった。でも、札幌や小樽にはない魅力があった。
 一面に広がる雪景色。真っ白でキラキラ輝いていて、見飽きなかった。
 歩くたびにサクサクと鳴り、思わずダイブしたくなるフワフワした積雪。
 氷点下だからこそ感じる日差しの温かさ。つい立ち止まって空を見上げ、目をつむる。
 流氷の上を歩いた。一歩ずつ確実に歩いたつもりが、自然は人間の予測を超える。気付いたときには水中にいて、頭がスッキリと晴れて、視界が明るくなった。流氷は"しょっぱくない”と落下したからこそ分かった。
 何度もカメラを構えて撮影するが、iPhoneでは残せないほどの美しい景色。キタキツネやエゾシカ、白鳥もいた。
 癒しと感動を与えてくれる空の色、靴下を重ねても冷える足先や空腹の身体に染み渡るご当地の食べ物、地球温暖化の影響を肌感覚で感じる日々、自然と動物と共に生きていると実感できる営み。

 私にとっては非日常でも、道東では日常であると感じた。人が多く、活気にあふれた観光地としての北海道も魅力的だ。一方で、道東には道東の魅力がある。何もなくても、しなくても、できなくても、ただそこにあるだけでいいと感じさせるものがたくさんあった。

「計画的偶発性」 偶然の出来事をポジティブに

 流氷の旅のきっかけは、共通の友達のInstagramのストーリー。
「流氷を見に行く人、ゆる募集」
誰と行くのか、何人行くのか、どこに行くのか、どのくらい行くのか…いつもの私なら絶対に行かない。きっと、何か変化を求めていたのだろう。様々な不安が頭を過ぎったが、思い切って✊を押した。

 LINEグループが作られ、飛行機を予約したのが11月。行きたいところやしたいこと、宿泊先を決めたのが12月。旅の予定表も作られた。ただ、想像以上に、空白は埋まらなかった。このままでは、北海道でボーっと過ごすことになるのではないかという思いを胸の内に抱えていた。でも、いつもとは違う旅に少しの期待とワクワク感もあった。時間単位で計画を決める私の旅行。直感的に、真反対の旅が私を変えるきっかけになると感じていた。

”計画的偶発性”
偶発的なことが起きるように計画すること。

 心ときめく景色や知る人ぞ知るご飯屋さん、観光スポット、人と人との出会い。計画と心に”余白”を作っておくことで、偶然に訪れたものに身を任せることができる。心ときめく景色に出合ったとき、道東で出会った人に「もっと話したいんだけど…」と飲みに誘われたとき、「ここがおすすめやで!」と現地の方に言われたとき、偶発的に生まれるリズムに乗った先には、”いつもの私であれば出合わない”、”ルーティン化した日常から一歩外に出ないと巡り合えない”経験があった。

 もちろん、予測がつかないことに対する不安もある。でも、その不安を後ろに追いやって前を向いたら、今まで見たことのない景色や価値観と出合うことができた。きっちりとスケジューリングされた旅行しか知らなかった。でも、”余白”があることで、予想もしていなかった誰かや何かが入り込んで来てくれるかもしれない。偶発的な物事こそ、なるべくしてなったと言えるのではないかと思った。偶発的な物事や出会いを楽しめたら、もっともっと自分自身の可能性や豊かさにつながるような気がしている。偶発的な相互作用は、誰も予想することができないからこそ、面白く可能性に溢れていると思った。

新しい世界に飛び込んだ自分にあっぱれ!!

 女満別空港に到着。”にょまんべつ”と呼んでいたが、”めまんべつ”だった。最初の驚き。
 寒い!!! あっという間に火照った身体が冷えた。3・4人目の仲間と合流。「初めまして!」と自己紹介。相手の表情を見ながら、緊張で思考が回らないまま、お決まりの自己紹介をする。小学校の頃を思い出す。「仲良くなれるかな」、「どんな人か知りたいな」と未来に希望を託して、今に一生懸命な私がいる。

 レンタカーに乗り換えて出発。最初に向かったのは網走湖。残り2人の集合までに時間があるので、急遽、予定に組み込まれた。「みんな一緒に」という旅行しか知らない私は、別々に行動するという発想が無かったので、驚いた。

 他にも、自分が持っていなかった見方や価値観、経験に出合った。知床の流氷や弟子屈の摩周湖、屈斜路湖、キタキツネや温泉でくつろぐ白鳥など、道東の自然が、多様な見方や価値観と私とをつなげてくれる。旅の仲間から多くの刺激をもらった。しかし、未知な見方や価値観に出合うたび、心が揺さぶられ、戸惑う。私自身の見方や価値観が間違っていたのかと思わされることもある。私にとっては、エネルギーを消費する思考回路である。

 新しい世界とは、自分にはなかった見方や価値観、経験のことである。新しい世界に出会うことは、ときにワクワク感と出会えるが、ときに不安や恐怖感、劣等感を抱くこともある。でも、真っ青な空が好き、フワフワの雪にダイブすることが好き、写真は人物メインで撮る方が好き、異質なコミュニティとの交流が苦手、教育分野に関することには熱くなれることなど、新しい世界と出合ったからこそ分かったことがたくさんある。

 他者理解は自己理解を伴う。他の人の価値観を深ぼることで、自分の価値観との違いが明確になる。他者と共に生きるということは自己の大切にしたいことに気付くためなのかもしれない。新しい世界に飛び込む勇気。私に必要なものである。自分をアップデートし、自分の大切にしたい価値観に気付くには必要なのものであると思う。

私のかけている眼鏡とは


 私は、他の人と自分とを比較して、相手のことを競争相手のように見てしまう眼鏡をかけている。自分が相手に勝てる部分を探しては、安心材料としている。遺伝子も育ってきた環境も異なる他者と比較して意味がないと頭では分かっていながら、未だに、フィルターを外して他者と向き合うことができない。

 きっと、自分自身の弱いところや受け入れがたい部分を受け入れることから逃げている。言い換えると、自己防衛の結果なのだと思う。他者の魅力的な部分を素直に認めることは自分の弱さや劣っている部分を認めることにもなる。「他の人は他の人、自分は自分で大丈夫」と呟くが、こころはざわついたままである。理想的な自己像はある。それを他の人が持っていたとき、相手(理想的な自己像「あるべき姿」)と現実的な自分との喧嘩が勃発する。比較と競争をする自分を論理的に整理し、押し込めるのではなくて、「そんな自分もいるよね」とよしよしと撫でて、フワフワと流すように扱えたらいいと思っている。だって、そんな自分がいることは事実なのだから。自分だけは自分の見方でいてあげたいと思う。

旅の最終目的地は自分で決めていい。

「流氷を見たい」という気持ちだけで集まった全国各地の仲間との6日間の旅は、新しい価値観や私の中にある常識を疑うような出来事との出会いが多かったので、身体的にも精神的にも成長できたように感じている。単なる「楽しかった」という娯楽の側面だけではなく、新しい仲間と非日常的な空間での相互作用の中で生まれた学びと成長の機会でもあった。すべてが初めましての「刺激」だった。その刺激をどのように捉えて進んでいくかは人によって違うし、違っていい。だからこそ、ここにこうやって綴っている。

 人生を豊かに、面白くする方法の一つを教えてもらった。「つながる」ということだ。それも、偶発的に。今回の旅でできたつながりをどのように深め広げていくかは私次第である。この後、この旅を自分の人生にどう活かしていくかも自分次第である。旅はこれからも続く。最終目的地は私が決める。今回の旅は、最終目的地ではなく、生き方の道を広げる休憩所だった。未来に続いていく。そんな旅をありがとう。全国で頑張る仲間へ感謝の気持ちを伝えたい。

最後に

 今回も自分勝手な文章になってしまった。でも、読者からの評価を気にする文章にはしたくないと思っている私にとっては一つの「挑戦」である。勇気を振り絞った。誰のためでもなく自分のために。それが回り回って誰かの何かにつながっていると信じている。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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