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小学校の先生ってワクワクできる仕事だ

 小学校の先生という仕事を始めて1ヶ月。怒涛であっという間の1ヶ月というよりかは、1日1日無我夢中だった。目の前のことに必死になっていたら、知らぬ間に時間が過ぎていた感覚だ。最初は、真っ白なキャンバスに何を何色で描いたらいいのか分からなくて、中々腕を動かすことができない、そんな日々を過ごした。言わば、何を描くかという見通し、教育現場での暗黙知や常識が分からない。でも、周りに置いていかれないようにと必死に動いた。

 教育現場に関わらず、新採用者は右を見て左を見て真似て学ぶと言われるようだが、日々、自分のクラスの子どものことで精一杯の同僚の先生方に「教えて」と言うには中々のエネルギーが必要だった。初任者研修で「分からないことがあったら周りに聞いて下さい。」と指導を受けたが、何がどのように分からないのかが分からず、質問が出来ないのに他の先生方の時間を奪うのは…と思って聞けない状況だった。教師は、先手を打って仕事をするのだが、見通しを持てない初任者は、仕事ができない、仕事が分からない日々だった。「〜しなさい」と言われるとどれほど楽だろうと何度も思った。

 多くの先輩から「大丈夫?」、「不安なことはない?」と尋ねられるが、そう言われれば言われるほど余計に不安になる。「大丈夫です。」と心は誤魔化せる反面、身体は正直で、ゴールデンウィーク前に高熱が出た。解熱鎮痛剤で熱を無理やり下げて、参観日と懇談会へ向かった。気分はサウナの中にいるような状態で、手が震え始めた。咳も鼻水もくしゃみも止まらない。声も出なくなって、子どもたちへの指示も一苦労だった。

 でも、驚くことに、学校に行くと「先生」ができた。保護者の前では「元気」を演じることができた。そして、結局、1日も休まず勤務した。正直、この1ヶ月はそれだけで十分頑張ったと自分に言ってあげられる気がする。

 子どもは可愛い。愛おしい。毎日、子どもと過ごす一瞬一瞬を楽しんでいる。正直、身体は疲弊しているが、心は生き生きしている。幸せなことだ。
 もちろん、理解できないこともイラッとすることもある。でも、その度に目の前の子どもの目をじっと見る。すると、子どもたちも懸命に生きていることが伝わってくる。怒鳴る、叱る、睨む…と、子どもをコントロールしうる術は身につけている。でも、子どもも意思を持っている。私は、集団の子どもではなく、一人の子どもと生きているのだと日々の端々で思い出す。子どもを上手く手懐けようなどとは傲慢な話だ。

 「学校の先生」と聞くと、ほとんどの人が労いの言葉として「大変な仕事だ」と言う。確かに、大変な仕事ではある。でも、どの仕事も同じではないだろうか。大変ではない仕事など、ないのではないかと言われるたびに思う。なぜなら、「仕事」とは誰かの困難や困り感を一緒に背負うこと、すなわち、誰かの困難に気付き、その改善に向かって試行錯誤する営みこそが仕事であると思うからである。大変ではない仕事などない。だからこそ、「大変」に負けないくらいの「やりがい」と「面白さ」、「自分がする意味」を見つけなければ続かないのかもしれない。

 働き方改革と頻りに言われる一方で、毎日夜遅くまで残っている先生の一人になっている。仕事を真面目にしていないわけではないのに、帰れない。「どうしてそんなに忙しいの?」と言われるが、その理由も正直分からない。
 一方で、「しんどい」という言葉で逃げたくない自分もいる。ネガティブ感情や愚痴を吐くことに否定はしないが、対人援助職の場合、良くない影響が人を通じて派生してしまうことが多い。一言の悪口を黒色の絵の具に例えると、それが吐露された瞬間、職場の雰囲気を徐々に暗っぽい色に変えていくのである。「しんどい」という言葉の本質を捉える冷静さを常に持ち続けたいと思う。

 子どもの前に立つたび、子どもに声をかけるたび、子どもに関わるたび、子どもについて考えるたび、この行動は子どもの何につながり得るかを考えている。自分の声かけが、仕草が、触れ合いが、まなざしが、子どもの日々の少しの安心感や癒し、幸福感、温かみ、喜びなどの子どもが生きることを支える感情につながったらいいなと思っている。
 先輩から言われた言葉がある。「子どもの話は、膝を曲げて目を見て、必ず聴いてやらないといけない。他のことをしたり、他のことを考えたりしながら聴いたら、二度と子どもは話しかけて来ない。」
 大人は、「今」できなくても「後」で…と思いがちであるが、本当は、同じ瞬間は二度と来ない。未来のための「今」ではなく、「今」は「今」しかないのである。「何度でも」は通用しない。だからこそ、今、その瞬間に一生懸命でありたい。

 子どもと過ごすことに慣れ始めると、効率性や自分本位に物事を進めることを重視して教育活動を考えてしまいそうになる。でも、子どもにとっては初めての体験・経験であり、初めての学習である。毎日が「初めて」との出合いなのだ。子どもの「初めて」を最高の思い出にするべく私がここにいる。

 考えているうちに実家のある岡山に到着した。帰省中は仕事のことは考えないように…と思っているが、おそらく、考える。なぜなら、私にとっては仕事と生活はつながっているからである。生活の中に仕事につながるヒントは詰まっている。仕事のこと、つまり、子どものことを考えると、ワクワクする。これが、天職と言うのだろうか。自分の考え方、向き合い方次第で、教師という仕事は、どこまでも自分のことを幸せにし、成長させてくれる仕事になり得る。

 私にとって、少しホッとできる居場所に戻ってきた。学級をそんな居場所にできるようにすることが私の一つの目標である。今日も好き放題書いてしまった。ご一読いただきありがとうございました。


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