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エゴが発露する


人生にはいろいろな岐路があります。恋愛にしろ結婚にしろ、あるいは仕事の上での武見の違いや摩擦、いずれにせよそこで何を選ぶか、どう進むかを決めるのは所詮、自分自身でしかありはしません。その選択の起点は自らのエゴによるしかありはしない。

「エゴの力」石原慎太郎さん


「選択の起点は自らのエゴ」

起点、なんですね。終点ではなく。

オリンピックのメダリストの試合直後の
インタビューでは「周囲の支え応援への感謝」
が口を揃えて語られ、涙を誘います。
感動します。

輝かしい終点に至る、通過点の苦労、感謝。

「起点」が語られることはほぼありませんが、
そこには「金メダルを取る」という、
“エゴ”が漏れなくあるはずだ。と思うんです。

そして4年後の金を目指すも、引退するもまた
「自らの人生を選択するエゴを貫く」姿がある

だから人は、五輪を見ちゃう。
感動している自分は、願望している自分の姿。

エゴでいいんだ、っていうのは嬉しい誤算。

直面している問題をどう捉えるか、どう感じ取るかはその人間の自我、感性に他ならない。そこで臆するか迷うか、諦めるかを決めるのは自分自身の内なる力、つまり個性の強弱によるのです。その選択を誤れば人生そのものを失うことにもなりかねない。いくら周りを見回してもその選択の場にいるのは自分一人でしかありはしない。

同上


「個性の強弱」って新鮮です。

自分の人生を選択するのは、
自らの意思や、
自分探しの旅や、
頭を使って考えたり、
人に相談してみてのアドバイス

って思ってました。

個性を強く出す
→誰がなんと言おうが、
 自分が認める強みで勝負する。
個性を弱く出す
→誰かが言った忠告を受けとめて、
 自分の意思とはあえてらずらす。
 でも、決めるのは自分。

結局、自分の人生を決めるのは神でも仏でもありはしない。頼れるのは己のエゴ、個性、その個性を司る己の感性以外にありはしません

同上

「個性を司るのは、己の感性」

ここでも、論理理屈ではなく、感性。

いままでわりと感性だけで生きてきた。
また感性が素敵だな、自分とは違う感性だな、
と思う人たちと過ごしてきたけれど、
そこに後悔はない人生だったなと。

これが「メリットデメリット」や、
「損得」だけで選択する人生できていたら、
どこか後悔をひきづっていたんじゃないかな。

つまり成功・不成功、勝利・敗北、人生を決めるのはエゴの力でしかありはしない。ならばエゴとは何なのか、それは人間の個性。その個性とは何なのか。個性とはその人間の感性が培うものでしかありはしません。

同上

「個性」ってなんでしょうね。
抽象的にいくと路頭に迷いそうなので、
具体的に行けば、
noteって個性の塊。個性の集積地なんです。

みんな、角度が違う。
「終点」としての投稿記事は、千差万別。
個性があらわれますよね。

個性とは、
「書かれた文章」に一番でます。
文体、ですます調、話題の転換の仕方など。

「自分の好きなこと」をテーマに書いたときに
その中身というよりも、
「いかにしてそのテーマを選び辿り着いたか」
という、「起点」にこそより一層あらわれる。

個性とは、起点の選択の違いである。

すなわちエゴとは人生を左右する力、人間の個性。個性とはその人間の感性の発露以外の何ものでもない。
これが人生を論じたり考えたりするための絶対の定理です。
この定理の定規を当てはめてみると人間の起こすさまざまなドラマの仕組みが明瞭に見えてきます。そして、それがまた人生のための活力にもなるのです。

同上


「発露」って好きです。

自動販売機に長い間閉じ込められていた
ペットボトルたちは、誰かに買われて、
外気に触れる。
触れた瞬間、水滴があらわれて、したたる。

ああ、暑い。でも、超きもちいいー!

それは、
「さあ、水滴を出すんだぞ、ペットボトルよ」
と人間に言われて出るもんでもなく、
出ちゃう。思わず。
我慢もしていない。

ペットボトルの魂の叫び。
ようやく解放されたという、涙の金。
同じ時をすごし支え合った
自動販売機仲間から、
「さあ、行ってこい!」と、送り出されて
きたんだろうか。

ペットボトルにもドラマがある。

でも、ペットボトルにエゴはない。

エゴを持てるのは、人間だけだ。

ともすると、
とくに日本では、エゴは、否定的だ。

「海賊王に、おれはなる」
「じっちゃんの名にかけて(解決する)
「のび太を救うために」

あ、アニメの主人公はエゴだらけだ。
エゴが立っている作品は面白く、息が長い。

主人公がエゴを消した物語なんて、ない。
そして、そんな物語は、読まれない。

自分の人生の主人公は、自分なんだから、
エゴで良い。

エゴサーチは、世の中に対してではなく、
自分自身に対して行えば良い。
そしてそれは、結果としてではなく、
自分のエゴの起点をサーチすることである。


エゴエゴいいすぎました。
これもまた、ひとつの個性。

今日もお読みいただきありがとうございます

写真は、坂の上の、下り階段。
降りるか、降りざるべきか。
この道を選んだとして、まちがってれば
引き返せばいい。
エゴは決めて終わらず、変わり続ける。
起点は変わらないけど、終点は変わっていいん
だよ。
と教えてくれた階段はStep by Step。


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