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「間違い」じゃなくて「違い」と思えたら平和


いつどこで誰に聞いたか忘れたんですが、

誰かが何か、間違ってることを言ったとして
「それは間違ってる」ってゆうんじゃなくて、
「意見が違うだけ」ってゆいましょ、と。

目から鱗でしたし、
それ以来、180度、気が楽になりました。

「間違ってる」と言われる側で思うと、
結構凹みますけれど、(カチーン!とくる)
「あ、考えの違い、視点の違い」
と思えば、ちょっと冷静になれます。

「読みたいことを、書けばいい」
の著者の田中泰延さんの投稿で、
思い出したんでした。

「有料級」と最後にかかれているほど。
これはとても、有効です。

すぐ反論するメンバーがいたときにも、
「それは違い」であって、
それを
まずは!
認め合おうよ、って気持ちになれます。

なんか、極論ですけれど、大袈裟ですけど、
間違いを違いに変換できたら、
世界も家庭も平和になる気
さえします。

「でも」じゃなくて、
「ただ」と言い換えるだけでも、
全然違うって、昔産業カウンセラーの方が
言われていて当時もなんだか衝撃でした。

自分はどちらかと言うと、
間違いを指摘するのは億劫で。
(自分に自信がないことの,裏返し)

間違いを言われるのにも臆病で。
だから、あまり言わないし言えないんで、
「そうね、そうね」
って、受容とか傾聴で「終わる」んですけど、

本当の平和は、
「その心は?」
まで関心持って聞けたらいいんだなって
思います。

noteを描いてると、
あ、間違ってるんかな自分、とか、
人との比較で思いがちで、
勝手に凹むんですが。

あ、間違いじゃなくて違うだけ。

そして、なんなら、
「その心は?」と、自分に問うてみる。

自分は間違いとおもってなくても、
違いだとしても、
自分が自分に、「そう思った心は?」
と問うてあげれたら、

自分を認めてあげられるし、
自分の中で平和が訪れるかもしれない。


間違いだらけの世の中で、
間違い探しするんじゃなくて、
違い探しができたら、おもしろそう。
人にも自分にも歩み寄れそうです。

きょうもとりとめなくも、
お読みいただきありがとうございます。

違いがわかる男、にはなれませんが、
違いをみつけて、心をみつけることを
楽しめる40代になりたいなあと思います。

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