骨折もありがたいこと。受け取り方で失敗は素敵な出来事に変わると腑に落ちた話
高齢者にとっての骨折は生活に影響を及ぼす。
足に関するものなら、歩けなくなったり、それが原因で自分でできていたこともできなくなったり、かなり高齢者の生活に強い影響力をもつ。
骨折は高齢者にとっては危険。
その認識は今も変わらないけれど、
「それ(骨折)もありがたいことだったわよね」
とおっしゃっていた方の言葉に衝撃を受けた話を。
なぜ、骨折がありがたいのか
その人曰く、
「今まで行こうともしなかったエリアに行けた。素敵なエリアを知れた」
だからだそう。
入院した病院が近所で、町の名前も聞いていたけれど、機会がなくて行かなかった。
でも、緑がたくさんあって、賑わいもあって、素敵な街だったのだそう。
出来事はその人の受け取り方次第
骨折やら入院をそんなふうに捉えられんのかとびっくりした。
その人が、日常生活を送れるようになったからそう言えるのかもしれない。
けれど、それでも、自分の受け取り方で物事の印象は180度違うなと。
痛くて、辛くて、なんであの時気をつけなかったのかと思い続けることもできるし、
この方のように素敵な経験にすることもできる。
側から見ればとんでもない、すごく頑張ったんですね!のようなエピソードであっても、
その人の認識が違えば素敵なエピソードを人に伝えることもできる。
物事の受け取り方を変えると人のためにもなる
自分のなかで物事の受け取り方を変えることは、自分を楽にすることになると思っている。
けれど、今回のことで自分を楽にするだけじゃなくて、受け取り方次第で相手に渡せる感情も違うのだなと思えた。
失敗談を笑える人は、認識を変えているから。
失敗を恥ずかしいものだと捉えていない。
むしろ良かったと思っている。
私はその考え方を、なんとなくこじつけのような、無理やり思っているような気もしていた。
けれど、今回の話を聞いて、本当に恥ずかしくないし、むしろ相手をいい気分にさせてあげられるのだと思った。
飄々と生きていたい私にとって、失敗を曝け出すことは抵抗がある。
でも、自分の失敗が誰かの役に立ったり、役に立つほど影響力はなくても、その時笑えたり、いい気分にさせられるなら、どんどん曝け出していいかもなんて思えた。
ぽろっと出てくる言葉に気づきがありまくる今日この頃です。
これから、ちょこちょこそのエピソードをあげていきたいと思います。
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