見出し画像

節分の由来①

節分は日本の伝統文化の一つであり、毎年豆を巻いたり、恵方巻を食べたりして家族と過ごすのです。鬼に扮した大人に向かって豆を巻く家庭もあれば豆巻きせずに恵方巻巻きだけを食べて過ごす方や特に何もしないという方もいますので過ごし方は様々です。
節分は中国から伝わった行事とされていますが、中国の現在には日本のような節分はなく日本独自の発展した文化とされています。
節分は「鬼は外、福は内」と言いながら豆を撒き、その後年の数だけ豆を食べて厄払いをする事で親しまれる行事です。
近年ではその年の恵方を向いて恵方巻きを食べるという文化も定着していきました。
節分の起源は、大陸からやってきた「儺(なだ)」が元になったと言われています。儺とは、邪神を追い払い福を招くものという古代中国(前17世紀~前256年頃)で秋冬の年に3回行われていた祭りでした。紀元前11世紀の周代には「大儺(たいな)」という行事へと変わっていき「方相氏」と呼ばれる術者が熊の皮や四つ目の面を被り、奴婢(ぬひ)達を引き連れて鬼を追い払うものになっていきました。そのような大儺が日本に伝わったのは、飛鳥時代だったとされています。すぐに取り入れられたのではなく文武天皇の時代に疫病が蔓延した事がきっかけに行われるようになり、続日本紀には「慶雲3年(706年)の大晦日に疫鬼払いをするために大儺が行われた」という旨の記述も見られます。当初の大儺は伝来したものをそのまま受け継ぎ、鬼退治の方相氏がいて、宮廷内を掛け声とともに回るものでした。
平安時代になると鬼を追い払う役だった方相氏は、鬼として追い払われる側へと変化していきます。

長くなるので続きは明日投稿します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?