息をするように

こういう時に、「身体に気を遣っておいて良かったな」と感じる。

最近外で1日のほとんどを過ごすことがあるのだけれど、そこそこの暑さとほどほどの(身体を動かすという意味での)運動とやや多めの歩数(17,000歩/日前後)という状況でも疲れが残ることがほとんど無い。

確かにわずかに疲労感は存在するのだけれど、だからと言って次の日の朝「筋トレ(あるいはHIIT)をサボろうか」と考えることは(ほんの少し頭をよぎるけれど)いまではほとんど無い。

たまに「昨日あれだけ身体を動かしたのだから」と言い訳を考えることもあるけれど、そういう時は「いまの僕はそれ(筋トレやHIIT)が出来るだろうか?」と自分に問うてみる。その返事が「出来る」となると、「やれやれ、やっぱりやるのか」ともう1人の自分が独言る。

こういう負荷に耐えられる身体作りが出来ていることがとても大切だということは、それが発揮されている時じゃないと感じられない。少なくとも運動している時はただしんどいだけで、なかなか「これが身体作りに生かされるんだ」とポジティブになれないのが辛いところ。

いつの日か”息をするように”身体作りが出来たら、と願うのは贅沢だろうか。

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