いろいろ

いろいろある、生きていれば。

11年という月日の間に何が自分の人生にあったかな。
高校の卒業式の次の日に地震があって、浪人して入った大学も卒業したけど卒業するとき揉めて、就職もしなくて、一般的によく言われる人生のターニングポイント的な場面うまくいってないこと多いな。

その一般的に言われる大事な人生の点の中に、やっぱり震災は深く刻まれている。


僕は3月20日に生まれた、この日は地下鉄サリン事件があった日付だ。
同じ年には阪神・淡路大震災もあった。
その日二歳の誕生日を迎えた自分は、赤子もいいところ、当時の世相、空気感についての実感など残っているはずもない。

やっぱり小学生くらいにもなると、自分と誕生日が同じ著名人を調べたりするもんじゃないですか。
その中で、自分の誕生日の日付に、今も解決し切ったと言えない大きな出来事があったと知ると、どうしても気になって、なんとなく因縁めいたものを感じて、なんとなく当時あったことを、周囲の同世代に比べれば深掘りしていた。

今はYouTubeとかで当時のテレビ報道の様子とかが手軽に見れるし、1999年に恐怖の大王が世界を滅ぼすんだって、なんとなくみんなの共通認識としてあったんだよなんて話に聞いて、想像するしかないんだけど、でもそれよりもっと昔のことに比べれば解像度高めに想像できる時代。


そんな自分の経験と重ねてふと思うのは、すでに11年という時間が経ち、これからどんどん震災の当時のことを知らない世代が大人になっていくのだなと。
僕が1995年の地震や、事件について、後追いで色々知ることができるのは、情報メディアの多様化、発達によるところが大きい。

当然、これからの若い世代にとっては、より高い解像度で2011年のことを知ることができる。
生まれた前後に起きた大きな社会の出来事について、知れることの幅が圧倒的に多いことは、基本的には良いことであると思う。
自分が1995年のことを知ることで、何か人生が大きく変わったのかというと、それは具体的にはわからないけど、やっぱり想像できることの幅が増えるというか、世界の見え方が少しくっきりする気はしている。

だから、当時の空気感を知らない世代が、震災の記憶を持つ人々が残した、さまざまな情報に触れることで、少し世界をくっきり見ることができたらいいなと思う。
こんな個人の感傷を吐露する文章の連なりが、それに役立てると思っているわけではない。でも、若い世代が2011年のことを知るきっかけを与えることは、ここ以外の場所でもなんでもいいから、できたらいいなと思っているし、やっぱりそれは、知らないより知っていた方がずっと優しい人になれると思うから。

ここまで書いて改めて思う、どんなことでも、これまで生きてきた人たちにもいろいろある、いろいろあったんだ、これからもいろいろなことがあるんだって、もっと想像できるようになれたらいいなという、自分自身の望みだなこれは。

押し付けにならない程度に、これから大人になる人たちと一緒に優しくなりたいなって改めて思った、2022年3月11日でした。


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