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社会人が社会人大学院で学ぶ意味

私は2022年3月に法政大学大学院キャリアデザイン学研究科を無事に修了しました。
せっかくなので、大学院を意識している方の少しでも御参考になれればと想い、体験的に社会人大学院に通う意味をまとめました。

(1)社会人大学院で失うもの

まず、社会人大学院は生半可な気持ちで行くものではありません。短期的に大きく失うものがあるので、それらを失っても中長期的に価値あるものに変えられる覚悟がなければ、通っても壮大な浪費に終わります。

①お金

私が修了したキャリアデザイン研究科では学費だけでも年間65万円(2年間)、他校出身の場合は20万円の入学金が必要です。これは、修了に必要な単位を履修して、修士論文を作成するための指導料だけです。
実際には、この金額に加えて書籍代が必要になります。書籍代は図書館で借りれば済むという考え方もありますが、修論作成に必要な書籍は借りるだけでは到底間に合いません。
当然、各講義で指定される教科書代が必要になります。また、修論作成に向けて、よく使う書籍や重要な書籍は手元に置いておく必要があります。そして、大学院で使用する書籍は学術書なので1冊1冊が高価です。数万円単位で出費が必要になります。この他にも、修論作成に向けて調査が必要であれば、その調査のための旅費や調査費用などを準備しなければなりません。
トータルで最低でも200万円弱のお金が必要になると覚悟してください。私の場合、株式投資のお小遣いで捻出しましたが、計画的な金銭計画が必要になります。
教育訓練給付もありますが、一般給付の場合には10万円、専門実践給付の場合は年間上限56万円が最長4年間得られます(キャリアデザイン研究科の場合は前者、公務員にはありません)。これらの補助は修了が条件になっているので、支給されるのは修了後になります。このため、一時的に大きな金額が手元からなくなります。

②時間

平日の夜(18時30分から22時00分)と土曜日に講義を受ける必要があるので、タイトなスケジュールが続きます。
これらの講義には、当然、予習が課せられ、指定された書籍や論文を読み、レポートを作成しなければなりません。中間課題や期末課題が課せられることもあり、毎週のレポートよりも文字数の多い課題をこなさなければならない場合もあります。
平日に講義が終わってからも予習しなければ間に合いませんし、土日も学習時間を確保しなければ、到底こなすことはできません。確実に、講義がある期間はこれらの時間を捻出するのが精一杯になります。
さらに、講義がない夏休みや冬休みでも、修士論文の作成に向けて、課題意識を広めて深めて、それらを補強するために先行研究や文献を読み漁ることが必要です。研究テーマを整理するためにも、調査や分析方法に関する論文や書籍を読む必要もあり、やるべきことはたくさんあります。
これらは、読み慣れている新書や文庫とは全く異なるので、読むのも理解するのも時間がかかります。生活時間は確実に変わりますし、自業自得ですが手を抜くと成績や指導で手痛いしっぺ返しを喰らいます。

この点、コロナ禍の大学院でほとんどオンラインでしたが、仕事をしながらの身にとって、携帯一つで授業に参加できるオンラインは時間の融通をつけやすく、かえってありがたい状況でした。大学院選択ではオンライン対応の可否もポイントになりそうです。

短期的には確実に「お金」と「時間」を失うので、これらを「投資」に変えられる覚悟なしに飛び込むと、不本意な結果にしかなりません。

(2)社会人大学院で得られるもの

短期的に「お金」と「時間」を失って得られるものは何か。修了して間もないですが、私が実感している収穫は3つあります。

①学術ネットワークにアクセスできる能力

誰かに何かを説明する際に、研究者が研究で明らかにした知見を引用すると説得力が増すことがあります。大学院では専門に研究している研究者から講義を通じて学術論文を徹底的に読み込むので、これらの探し方や読み方を修得することができます。
学術論文はビジネスでもプライベートでもほとんど接することがありませんが、様々な論文に触れることで、どの分野にどのような知見があるのか、凡その土地勘を掴むこともできます。
テクニックやノウハウは様々なビジネス書で溢れており、気軽に分かったつもりになれます。しかし、学術論文に触れられるようになることで、これらのテクニックやノウハウの裏付けや使い方の条件などを自分で探すことができるようになります。

また、外国語と同じように、アカデミックへの耐性がつくことで、自分で最新の知見にアクセスして情報を得られるようにもなるので、獲得する情報の質が飛躍的に高まります。
研究の知見には、実務的には応用が難しいものや「分からないことが分かった」的な有益さにつながりにくいものが含まれています。結果だけに注目すれば意味は乏しいかもしれませんが、自分で情報を読み解けるようになるので、その結果が導かれるプロセスに注目して、意外なヒントを見つけられることもあります。

さらに、先生方との交流を通じて、専門の研究者に相談できる関係を築けるチャンスを得られます。飛び込みで相談するのはハードルが高いですが、学生として接することが可能になるので、相談のハードルは各段と下がります。しっかりと講義に参加することで、修了後も先生との関係を維持できる可能性もあります(これは修了後の努力次第でもあります)。

②正しく論理的に思考する能力

学術論文は厳格な論理の積み重ねで作成されています。学術論文の論理は査読というプロセスによって筆者以外の研究者によって検証もされています。このようにして作成された学術論文に多く触れることで、日常で用いている論理的思考がいかにザルかを痛感させられます。
様々な学術論文に触れながら厳格な論理を突き詰めるからこそ、小さな“違い”を知覚することができるようになり、その感覚が他の場面にも応用できるようになります。
違いを指摘するだけでは面倒な人にしかなれませんが、研究の知見を自分で理解できるからこそ、実践に向けた違いを知覚することができるようにもなります。
往々にして研究の知見をそのまま実践することは難しいですが、違いを知覚できれば、実践に向けて意識すべきポイントも自分で考えることができるようになります。
答えなき時代に自分で答えを考えるためには、考えるための材料が必要になりますが、大学院での講義や修士論文の作成を通じたたくさんのインプットとアウトプットの機会があります。これらの体験によって、自分で考える能力が高まることを自覚できます。

一方で、悩ましいことに、学習すればするほど、何も知らない自分を自覚することになるので、社会人大学院で修士論文を仕上げた程度では、まだまだ未熟だという現実も痛感することになります。学びに終わりはないということを、つくづく実感させられます(4月以降も研究生を続けることへの動機につながります)。

③多様な人的ネットワーク

社会人大学院には、普通にビジネスやプライベートを過ごしていただけでは会えないような、多様な背景をもつ同期がいます。
講義では、学術論文やテキストを題材とした討議や意見交換があるので、彼ら、彼女らと共に過ごす時間を通じて、様々な世界を知るきっかけを得られます。
修士論文の作成や実務で直面している課題は、他の人も似たような悩みを持っていることが多いです。同期は様々な問題意識で学術的な知見と向き合っているので、彼ら、彼女らとの議論は、自分にはない、または、自分では掘り下げの弱かった視点に気がつかせてもらうことがあります。
これらの経験を通して得られた人的ネットワークは、すぐに何かに活きることはないかもしれませんが、弱い紐帯として何かの機会に活かせる可能性があります。

なお、私の学修期間がコロナ禍と重なったため、講義のオンライン化で相互の交流がしにくかったのは事実ですが、SlackやLine、Facebookなどを活用しながらなんとか交流はできていたと思います。

これらの得られたものをどのように活かすかは、今後の行動次第になります。何もしなければ、ただ学位が残るだけです。修士課程で得られた習慣を発揮し続けるためには、実践し続けることが重要です。その意味では、修士課程は修行期間であり、修行の成果はスタートに立てたことに過ぎません。

(3)社会人大学院をどう選ぶのか

200万円弱のお金と多大な時間をかけて得られるものも、使い続けなければ意味がありません。それでも、社会人大学院で学んだからこそ得られる無形資産は、日常で直面する課題の向き合い方や解決の道筋を考えるための質を高めます。
最後に、社会人大学院での経験を最大の効果とするために、どのように社会人大学院を選ぶのか、3つの視点を挙げます。

①講義と教授陣

一番大切なところです。
大学院は自分の研究計画を立てて入学するところです。自分の問題意識に即した講義があることはもちろん、それを教えてくれる教授陣が、学会や世間で評価を受けていることも大切です(学会での評価≠世間での評価には注意)。
講義に関しては、自分の興味関心だけでなく、周辺分野も含めて幅広く学べる方が望ましいと思います。興味関心のある分野を深掘りするのも大変なことなのですが、周辺領域にヒントが溢れていることもあります。実際に、修士論文を作成している時には、直接関係のない分野で聞いた話が論文のヒントになることもありました。
教授陣に関しては、Google検索で調べてみることをお勧めします。学会でも世間でも精力的に活動している先生は、情報量も豊富で発信にも優れている方なので、濃密な時間を過ごせることが期待できます。

②修士論文の有無

研究科によっては修士論文の代わりにリサーチペーパーなどの修士論文よりは軽めの論文を作成することで修了できる課程もありますが、研究者の指導を得られる機会なので、ある程度の文章量を書く機会はあった方がいいと思います。
大人になってから文章を論理的にガッツリ指導してもらう機会は早々ありません。字数が多ければ、その文章量を表現するためのインプットとアウトプットの量が必要になります。アウトプットした文章の量が、思考力や表現力に磨きをかけるのだとすれば、その機会は多い方が望ましいです。
私が修了したキャリアデザイン学研究科では、2万字以上の修士論文の作成が求められていました。私は約8万字をまとめています。研究科によって最低字数には異なりがありますが、求められる字数に対して3倍の文章を書いて削ぎ落すくらいの覚悟は必要です。
もちろん、かけられる時間との兼ね合いも影響する部分なので、書かないと駄目というものではありませんが、私は修士論文を書いた方がいいと思います。

③講義や指導の受けやすさ

社会人が大学院を選ぶ上で、外せない条件です。
どんなに優れた教授陣が素晴らしい講義を展開していても、講義や指導を受けることが難しければ意味がありません。
オンライン化が進んだので、オンライン対応している大学院であれば海外も含めて選択肢として考えることができるようになりました。この点は、コロナ禍の恩恵でもありますが、国内では対面を推進する動きもあるので、どこまでオンラインでできるのかは確認が必要です。
仮に対面のスクーリングなどが必要になれば、仕事や家庭との関係で、その期間に実施場所に通うことができるのかが問題になります。

まとめ

簡単ですが、修了に際して社会人が社会人大学院で学ぶ意味などについてまとめました。
一言でまとめれば「巨人の肩に立とうとして、足りないことを知った」に過ぎませんが、足りないことを自覚するからこそ、足りているものややるべきことを再確認することもできます。
それらを、自律的に確認し行動できる習慣を身に付けられるのは、修士課程という2年間のトレーニングの賜物だと思います。
修士課程ではストイックな時間を過ごすことになりますが、この時間の効果を高めるには、修了した後もよりストイックであることが期待されます。
そういう世界に少しでもあこがれるのであれば、どんな研究科でもいいので、ぜひ、扉を叩いてみてください。ハードルは高いかもしれませんが、行動しなければ超えることもできません。

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