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映画『太陽の帝国』に出てくるコントラクトブリッジのセリフが切なすぎた話

以前、コントラクトブリッジが登場する映像作品を紹介する記事を書きましたが、その時の調査でタイトルは確認したものの、内容まで確認しきれず記事に載せなかった作品がいくつかありました。その中から、今回は『太陽の帝国』(1987)という映画を視聴することができたのでご紹介したいと思います。

この『太陽の帝国』は、イギリスの小説家ジェームズ・グレアム・バラード(James Graham Ballard, 1930-2009)の小説(1984年に出版)を映画化した作品です。バラードは日中戦争中の中国・上海に生まれ、開戦後は日本軍の捕虜収容所で過ごしたという経験の持ち主で、その時のことを織り交ぜながら作品にしたのだとか。

そして、この小説を映画化したのは、かの有名なスティーヴン・スピルバーグです。スピルバーグといえば、『ジョーズ』、『未知との遭遇』、『E.T.』、「インディー・ジョーンズ」シリーズ、『ジュラシックパーク』など、誰もが知っている数多くのヒット作を手がけた映画監督ですが、こうしたエンタメ映画ばかりでなく、『シンドラーのリスト』、『プライベート・ライアン』、『戦火の馬』など、戦争を題材にした映画も制作しています。
この『太陽の帝国』はスピルバーグがそうした社会的なテーマの映画に取り組み始めた初期の作品でしたが、興行収入はあまり良くなく「映画賞を狙い過ぎている」などと評価されることもあったようです。ですが、個人的には戦争中の特殊な状況に置かれた少年の生活を淡々と描いているところが良かったと思うのです。

あらすじ

上海の租界(外国人が特権を持っていた居留地)で生まれ育ったイギリス人の少年ジェイミーが主人公。1941年、太平洋戦争勃発によって日本軍が上海租界を接収した。その際に、ジェイミーは両親とはぐれてしまい、日本軍によって外国人捕虜収容所に入れられることになる。そして、ジェイミーは収容所でさまざまな人たちとの出会いや交流を経験し、厳しい生活の中で生き延びる術を身につけ成長していく。しかし、アメリカ軍によって日本軍が劣勢に立たされると、収容所の配給も少なくなり、生活が一層厳しくなっていく。さらには収容所がアメリカ軍の攻撃を受け、日本軍と捕虜たちは収容所から脱出することに。そして、ジェイミーたちは終戦の日を迎えることになる…。

ブリッジが出てくるセリフの解説と感想(ネタバレあり)

はじめにおことわりしておくと、この映画で「ブリッジをしているシーン」は出てきません。セリフに登場するのみです。しかも、ほんの少ししかありません。なので、ブリッジファンの方には物足りないかもしれませんがご了承ください。

この映画でブリッジが出てくるセリフが登場するのは、作品の前半に両親とはぐれたジェイミーがアメリカ人の荒くれ者と出会うシーンです。ここでは、ジェイミーが中国人の若者に身ぐるみ剥がされそうになって逃げていたところ、アメリカ人が追い払ってジェイミーに事情を聞こうとするわけですが、そこでジェイミーはこう自己紹介します。

「ぼくはジェイムズ・グレアム。ブリッジの本を書いた」

『太陽の帝国』字幕より

そして、アメリカ人の車に乗って移動する道中にも自己紹介は続き、「ぼくの父親は繊維工場の社長だ」「父親には人脈がある」と様々な人物の名を挙げてみせ、さらには「ブリッジに勝つ手を教えてあげようか?」とのたまうのです。

この場面だけでもわかるように、ジェイミーは裕福な家庭の子息で、映画冒頭では中国人の使用人がいる豪華な家に住み、戦争中でありながらも居留地に住む裕福なイギリス人たちとクリスマスパーティーに興じている様子が描かれています。
しかし、それまでのシーンでブリッジに関する描写はなく、突然ジェイミーが「ブリッジの本を書いた」と言い出すので唐突な印象があります。
もしかしたら原作の小説にブリッジが出てくるのかもしれません。(いずれチェックしたいです。)

とはいえ、ジェイミーが見ず知らずの大人に自己紹介でブリッジを話題に出すことについて考えてみます。ブリッジというのはルールが複雑なので、誰かに教えてもらわないと遊べるようになりません。子どもながらにブリッジを知っているというのは、やはり家庭環境の影響と言えるでしょう。また、社会階級の高いイギリス人で、教育や教養の程度も高いことを示唆していると考えるのが自然かと思います。そして、父親の社会的地位を自慢するところと共通していますが、ブリッジの本が書けるほどの「自分の立派さ」を大人に自慢したいのではないでしょうか。階級上位層のイギリス人が持つスノッブ精神というのは幼少期からしっかりと育まれているようですね…。
一方で、このセリフを聞いたアメリカ人の反応は特にありません。ジェイミーの身なりや持ち物からも、彼が裕福な家の子であることは明らかなので、「子どもの戯言」と聞き流しているのでしょう。

そうして、アメリカ人の荒くれ者たちと共に収容所に送られることになり、数年の月日が流れるのですが、物語後半になって、再度「ブリッジ」のセリフが登場します。
それは、戦争の終盤、収容所がアメリカ軍の攻撃を受ける場面です。収容所の横にはジェイミーを含めた捕虜たちが工事をして作った滑走路と航空基地がありました。それを目掛けてアメリカ軍の最新鋭飛行機が爆撃を行ったのです。それを目の当たりにしたジェイミーは歓声を上げます。

というのも、ジェイミーは飛行機が大好きで、映画冒頭では飛行機のおもちゃで遊び、本物の日本軍の飛行機を見て大喜びしています。しかも、「ぼくは日本の空軍に入る」と言い出す始末。(戦争真っ只中の中国にいながら何不自由なく生活しているジェイミーは「中国人=使用人や貧乏人、日本軍=ニュースを聞いていると強いらしいので憧れる、イギリス=行ったことはないけどイギリス人は偉い、飛行機=かっこいい」という短絡的な価値観を持っていました。)そのため、収容所に連れてこられたときも飛行機やパイロットに大感激しており、中でもパイロットを見れば敬礼をするほどでした。

しかし、実際には基地も収容所も火の海で、日本軍兵士も捕虜たちも逃げ惑うばかり。ジェイミーは飛行機のかっこよさに魅了され、自分がどれほど危険な状況にいるのか全く理解していません。見かねたイギリス人医師がジェイミーを取り押さえ一喝します。すると、ジェイミーは呆然とし、涙目でこんなセリフを言うのです。

「パパとママの顔を思い出せない…  ママの寝室でブリッジをしながら ママが髪をとくのを見てた 茶色の髪だった」

『太陽の帝国』字幕より

これは「戦争と収容所での生活が当たり前になってしまい、戦争前のことが思い出せなくなっているジェイミーの切なさ」を表現した、映画の中で最も印象的なセリフのひとつだと思います。ジェイミーは毎日かっこいい飛行機と日本軍のパイロットを横目に仕事に精を出す日々の中で、自分のアイデンティティをすっかり失っていたのでした。
一方で、作中にほとんど描写のない「ブリッジ」がジェイミーにとって「親子の思い出のゲーム」だったことがこのセリフから判明しました。賢いジェイミーのことですからブリッジの遊び方は忘れることがなかったかもしれません。ですが、あんなに大好きだった両親の顔を忘れてしまったことに気づいていかに悲しかったことか。とても切ないセリフだと思いました。

というわけで、ブリッジがセリフに出てくる映画『太陽の帝国』のご紹介でした。ちょうど6月から8月にかけては第二次世界大戦のことを省みる季節であり、残念ながら2023年の現在も戦争が起こっている真っ只中であるので、この映画を鑑賞して「やっぱり戦争なんてないほうがいいよなぁ」と改めて思うのでした。一刻も早く、誰もが安心してブリッジを楽しめる平和な世の中になることを祈るばかりです。ではー。

(余談:この映画には、日本人キャストとして、伊武雅刀さん、片岡孝太郎さん、ガッツ石松さん、山田隆夫さんが出演しています。ハリウッド映画などでは時々日本人役を日本以外のアジア人が演じているようなこともありますが、本作はそうしたこともなく、日本人役の登場人物に対する違和感がないところも見やすくて良いと思います。4名の皆さんの自然な演技と若かりし頃の姿にも注目です。)

サポートはコントラクトブリッジに関する記事執筆のための調査費用、コーヒー代として活用させていただきますー。