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ブリッジ好きな実業家が世界選手権大会で優勝できるブリッジチームを作った話〜Dallas Aces

コントラクトブリッジは、一般にアマチュアリズムのマインドスポーツとして行われることが多いカードゲームです。しかし、ブリッジの「プロチーム」が過去に存在していたことをご存知でしょうか。その名も「Dallas Aces」。集まった優秀なブリッジプレイヤーたちはフルタイムのブリッジプレイヤーとしてお給料をもらいながらトレーニングを積み、競技会に出場するという、まさにプロとして活動をしていたチームでした。

このチームを結成し、資金提供をしていたのはアメリカ・テキサス州の実業家アイラ・コーン(Ira G. Corn, Jr., 1921–1982)でした。コーンはいくつもの会社を設立し、経営者として社会的に成功していました。一方で、ブリッジに対する情熱も持ち合わせており、ブリッジに関する活動にも盛んに取り組みました。(↓1969年に競売で落札した「独立宣言」の貴重な印刷物と一緒に写真に収まるコーン)

「Dallas Aces」が結成されたのは1968年のことです。当時のブリッジの世界選手権大会ではイタリアの強豪チームである「ブルーチーム」が長くトップの座に君臨しており、アメリカチームは優勝から遠ざかっていました。その状況を見て、コーンは世界選手権で優勝を目指せるチームを作ろうと立ち上がりました。

コーンは優秀なブリッジプレイヤーに声をかけ、メンバーを集めました。(最初のメンバーはBobby Wolff, Bobby Goldman, Jim Jacoby, Mike Lawrence, Billy Eisenberg, Bob Hamman。Jim JacobyはOswald Jacobyの息子。Bob Hammanは1969年よりメンバーに。)そして、トレーニングの費用やその他の経費などをコーンが提供し、チーム結成から2年のうちにアメリカでヴァンダービルトカップとスピンゴールドトロフィーを獲得して成果を上げました。そして、Dallas Acesは1970年、ストックホルムで開催された世界選手権にアメリカ代表として出場し、見事優勝を勝ち取るのでした。この年はちょうどブルーチームが出場していなかったということもありましたが、Dallas Acesの勢いは留まることがなく、翌年の世界選手権でも優勝して連覇を果たしました。

この時のDallas Acesの活躍はアメリカの有名雑誌『LIFE』に取材され、「America's Best Bridge Team」というタイトルで記事になりました。(1972年2月18日号)

この取材の時に撮影されたと思われるDallas Acesの写真はGoogle Arts&Cultureで公開されていますので、興味のある方は「Dallas Aces」で検索してみてください。

その後、Dallas Acesは運営体制やメンバーの変更をしながらも、コーンが亡くなる1982年頃まで活動を続けました。

(余談)最初にご紹介している画像でコーンが持っているアメリカの「独立宣言」の印刷物は、コーンが(1969年当時の)40万ドルを超える価格で落札したそうですが、最近では2010年にも競売にかけられたことがあるそうです。

相当な資金を持った人物だったと思われるコーンですが、その財力を使ってブリッジの世界選手権でアメリカを優勝させようとプロチームを作ってしまうとは、いやはや、ブリッジファンの立場でも「物好きな方もいるもんだ」と思ってしまいました。こんな事例があったとはビックリです。

日本チームを世界選手権で優勝させたいとお思いの方がいらっしゃいましたら、ビジネスを成功させて資金を作り、ブリッジのプロチームを結成してみてはいかがでしょうかー(棒読み)ではー。

※今回の記事はACBL「Hall of Fame」のページやNew York Times「IRA CORN JR., EXECUTIVE AND BRIDGE DEVOTEE, IS DEAD」(訃報記事)、英語版のWikipediaやWBFのWebページを参照して執筆しました。

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