コントラクトブリッジの歴史をまとめてみた⑤<世界選手権大会の動向〜コンピュータゲームとブリッジ>
「コントラクトブリッジの歴史をまとめてみた」シリーズの5回目です。前回は、ブリッジの国際組織の設立やブリッジ界のスーパースター「チャールズ・ゴーレン」の活躍など、戦後のブリッジ界の流れを概観しました。今回は前回の続きということで、20世紀後半のブリッジ界の様子を見ていこうと思いますー。
(前回までの記事はこちら↓)
①<ブリッジの祖先「ホイスト」〜19世紀ごろまで>
②<ホイストの派生ゲーム〜コントラクトブリッジの誕生>
③<コントラクトブリッジの流行〜エリー・カルバートソンの活躍など>
④<世界選手権大会〜国際組織の設立、「ミスターブリッジ」チャールズ・ゴーレン>
世界選手権大会とブリッジチームの活躍
「ブルーチーム」の活躍と「ダラスエース」(1950年代後半〜1970年代)
前回の記事でも述べましたが、1958年に世界ブリッジ連合(World Bridge Federation、WBF)が設立され、1950年より欧米の国々が参加して開催されていた「世界チーム選手権大会(The World Bridge Teams Championship/バミューダ・ボウル)」はWBFに引き継がれることになりました。
その頃の世界チーム選手権大会ではイタリアの「ブルーチーム」が覇権を握っていました。イタリア国内で選抜された「ブルーチーム」は1957年に初優勝すると、その後1969年までの間に開催された世界チーム選手権大会全てでイタリアが優勝杯を手にします。
10年以上にわたってイタリアチームが優勝を続ける状況の中、1968年にアメリカの実業家アイラ・コーンによって「ダラスエース(Dallas Aces)」というブリッジのプロチームが結成されます。これは、「世界選手権大会で優勝できるアメリカのチームを作りたい」というコーンの呼びかけによってアメリカの優れたブリッジプレイヤーが集められたもので、コーンの資金提供によってトレーニングや国内大会への参加を重ね、ついに1970年のストックホルム大会で優勝を果たします。
実はこの1970年の大会にブルーチームは出場しておらず、直接対決にはならなかったのですが、ダラスエースが優勝したことは大きな話題となりました。
翌年の大会ではダラスエースが連覇を果たしますが、1972年、73年はブルーチームが王者に返り咲くなどし、アメリカとイタリアの激しい優勝争いが続いた1970年代となりました。
ダラスエースについては過去に記事を書いたことがありますのでご参考まで。↓
「ワールドブリッジゲームズ」(1960)と「ベニスカップ」(1974)
一方で、1960年にWBFが主催する大会として初めて創設された「ワールドブリッジゲームズ(The World Bridge Games)」という新しい国際大会が始まります。この大会は国別対抗戦で、4年に一度、オリンピックと同じ年(うるう年)に開催されます。(現在はコロナの影響で開催年次にずれが生じています。)この大会は、コントラクトブリッジのスコアリングを開発したハロルド・S・バンダービルトが優勝トロフィーを寄贈したことから「バンダービルト杯」とも呼ばれます。(バンダービルトは1884生1970没というご長寿だったんですねー)
また、「世界チーム選手権大会」では、1974年にイタリア(ヨーロッパの代表として)とアメリカの女子チームによるチャレンジマッチがイタリアのベニスで行われ、これをきっかけにウィメンチーム戦の「ベニスカップ」が創設されました。
なお、ブリッジの国際大会についてはWBFの「The WBF Championships」のページで各大会ごとに詳細がありますので、気になる方はご参照ください。
余談ですが、現代のコントラクトブリッジでおなじみのブリッジ用具「ビディングカード」が国際大会で最初に使用されたのは、ダラスエースが世界選手権で優勝したのと同じ、1970年のストックホルム大会なんだとか。(過去記事参照のこと↓)
コンピュータゲームとブリッジ(1970〜80年代)
これまでの記事を見ても分かる通り、カードゲームが多くの人々の娯楽として親しまれていた時代が何百年も続いていたわけですが、1970年代になるといよいよ現代の娯楽の王様「コンピュータゲーム」が登場します。
1970年代には「ブロック崩し」や「スペースインベーダー」といったテーブル型の筐体で遊ぶゲームが登場し人気を博します。1980年代に入ると、任天堂の「ゲーム&ウオッチ」に代表される電子ゲーム(LSIゲーム)が登場。1983年には家庭用テレビに繋いで遊ぶ任天堂の「ファミリーコンピュータ」が発売され、家庭用コンピュータゲームが普及しました。この1970〜80年代の間に多くの子どもや若者が「コンピュータゲーム」の虜になりました。
こうした「コンピュータゲーム」ブームに乗って、1970〜80年代にはブリッジを題材としたゲームもいくつか作られていたようです。以下はYouTubeで見つけたブリッジのレトロゲームの例です。海外のオークションサイトなどを見ると時々ブリッジのレトロゲームが出品されていることがあるので、興味のある方は探してみてください。
(この時期のブリッジのレトロゲームについては調べると面白そうですがキリがないので今回はこの辺で…)
(以下の「BBC Bridge Companion」については記事を書いたことがあります。)
というわけで、今回は1950年代以降の国際大会についてと、チャールズ・ゴーレンが活躍した後に登場した「コンピュータゲーム」とブリッジについてまとめてみました。
ゴーレンが活躍した1950年代後半〜60年代の国際大会は(アメリカも強かったようですが)イタリアのブルーチームの時代だったというのは個人的に意外なことに思いました。
また、1970年代から始まる「コンピュータゲーム」の普及は余暇時間の使い方や娯楽の世界に大きな変化を与えた出来事であり、ブリッジにも多大な影響があったと考え、今回取り上げました。
次回はやっと20世紀末から現代に至るまでについて書くことができそうです。ではー。