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投資の神様ウォーレン・バフェットの趣味はコントラクトブリッジという話

コントラクトブリッジ愛好家の有名人の一人にアメリカの有名投資家ウォーレン・バフェット(1930-)がいます。バフェットといえば、世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイの筆頭株主ならびにCEO兼会長であり、10兆円を超える個人資産を投資で築き上げた「投資の神様」「オマハの賢人」(オマハはバフェットの地元)と称される人物です。
近年はNISA(少額投資非課税制度)が日本で実施され、FIRE(経済的自立と早期リタイアを目指す)ムーブメントが起こるなど、投資への注目が集まっている中で、バフェットの名前を聞いたことがある人も増えているかもしれません。
ですが、そのバフェットがブリッジ愛好者であることを知っている方はそう多くないと思いますので、今回はバフェットの伝記本『スノーボール』(原書は2008年刊)を参照しながらバフェットのブリッジエピソードをご紹介したいと思います。

この本は経済アナリストでコラムニストのアリス・シュローダーによるもので、バフェット本人と多数の関係者への取材をもとに執筆されました。

ブリッジブームだった幼少期

この本によると、バフェットがブリッジに強い興味を持つようになったのは、幼少期に親戚のおばさんにブリッジの本をもらったことがきっかけだったようです。
その本は当時ブリッジプレイヤーとして絶大な人気と影響力を持っていたエリー・カルバートソンの『Contract Bridge Complete: The New Gold Book of Bidding and Play』(1936)だったそう。(海外の古書市場では今でも流通しているようです。)
(余談:バフェットが8歳か9歳のときに読んで影響を受けたというデール・カーネギーの『人を動かす』(1936)という自己啓発書にもカルバートソンを引き合いに出した記述があります。)

バフェットはちょうどブリッジの人気が高まっている時期に幼少期を過ごしていたわけですが、本人としてもチェスや他のゲームよりもブリッジが自分にはあっていると感じていたとか。
この他にも、ローティーン時代に父親の友人たちとブリッジをしてもらったり、大学を転学する際にルームメイトとブリッジの本を取り合ったりしたエピソードもちらっと書かれていました。

と言ってもバフェットはブリッジ漬けの子ども時代を過ごしていたわけではなく、物を売ったり株を買ったり、子どもにできる範囲での「ビジネス」に取り組んでいました。そして、尊敬する投資家ベンジャミン・グレアムの背中を追いかけて会社を設立し、投資家として活躍するようになります。その後の成功については割愛しますが、繊維業の会社だったバークシャー・ハサウェイを買収し、投資事業の会社として成長させていきます。

大人の趣味、競技としてのブリッジ

ビジネスマンとして忙しく過ごす中でもバフェットは「気楽なつきあい」としてブリッジを続けていました(50年近く!)が、1980年の末ごろからは競技としてのブリッジに取り組んでいました。その真剣さは国際ブリッジ・トーナメントに参加するほどでしたが、シャロン・オズバーグというブリッジの実力者の女性との出会いによって、バフェットはメキメキとブリッジの腕前をあげていきます。そして、1994年に行われた世界選手権の男女ペアの部にシャロンと出場して決勝トーナメントの参加資格を得ることができました。

しかし、そこでとんでもない事態が起こります。ブリッジの試合に1日半も取り組み続けた結果、バフェットは疲れ果ててしまい、決勝トーナメントを目前にして「できない」「決勝トーナメントには出ないといってくれ。ビジネスで緊急の要件ができたと」と言い出したのです。
パートナーのシャロンは仕方なく世界ブリッジ連盟にそのことを説明しますが、当然のことながら決勝トーナメントの出場を放棄するなんて前代未聞。かんかんに怒られたそうですが、結局はなんとか納得をしてもらい処罰もなく帰宅させてもらえたそうです。

コンピュータを始めるきっかけもブリッジ

バフェットは「自分が理解できないことには手を出さない」という哲学の持ち主で、投資をする際も、自分が理解できない分野の会社には積極的に投資をしませんでした。1990年ごろといえばコンピュータ分野の発展が著しく、まさに有望株でしたが、バフェットはコンピュータは分からないからとその分野に投資をしなかったのです。そのことであれこれ言われる時期もありましたが、ITバブルが崩壊して損を出す投資家を尻目にバフェットは利益を上げ続けました。(ちなみに現在のバフェットはApple社などIT企業の株も購入しています。)

そんなバフェットがコンピュータを使うきっかけとなったのがブリッジでした。先述のブリッジの実力者であるシャロンが「ブリッジをやる相手が目の前にいるときしかバフェットがプレイできないのはもったいない」と何ヵ月も説得してバフェットの自宅にコンピュータを導入させました。
使い方を教わるとバフェットはすっかりコンピュータブリッジにのめり込み、家の中にコウモリが入ってきて家族が大騒ぎしてもブリッジをやめないほどでした。

バフェットと親交のあることで知られるマイクロソフトの創業者ビル・ゲイツとはこれより前に知り合っていましたが、ゲイツをもってしてもバフェットにコンピュータを使わせることはできなかったそうです。
しかし、バフェットは少しはブリッジをやっていたというゲイツにブリッジを真剣にやるよう促すついでに、シャロンに頼んでゲイツのコンピュータブリッジの設定もさせたそうです。
ゲイツとの友情は今でも続いており、2020年のコロナ禍によるロックダウンの際にバフェットとゲイツはオンラインブリッジサービスの「ブリッジ・ベース・オンライン(BBO)」(※BBOについては過去記事参照)を利用してブリッジに興じていたそうです。(以下リンク記事参照↓)

日本経済新聞出版社『スノーボール』より。バフェットが世界ブリッジ選手権に参加した際の写真とはじめてコンピュータを操作するバフェットの写真が掲載されていました。

というわけで、今回は世界的に有名な投資家であるウォーレン・バフェットのブリッジ大好きエピソードをご紹介しました。バフェットは自分が関心を持ったものには一途にのめり込む質があるようで、投資だけでなくブリッジもバフェットが情熱を注ぐもののひとつなのかもしれません。
また、バフェット以外にもブリッジ界の有名人にはビジネスマンが多いようですが、ブリッジの戦略を立てるセンスとビジネスのセンスは通じるものがあるのでしょうか。個人的に気になっているところです。「考えるセンス」を磨きたいなら、株式投資だけでなくブリッジを始めるのも良いかもしれませんよーではー。

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