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金魚の記憶~1970年代の平井随想

私の頭の中にはフィルムが入っている。静止画と映像、これを巻き戻し再生しながら記憶をたどる癖がある。Googleマップのストリートビューのポンコツ版。「金魚の記憶」と脳内検索すると、縁日、夜店の金魚すくいの映像が出てきた。

1970~76年頃の数年間だけ、平井4丁目にある道了寺の縁日では路地に夜店が出ていた。お寺さんに確認したら、徐々に画像のピントがあってきた。橙色の照明、射的、綿菓子、スーパーボールにヨーヨー釣り、発電機の音、人のざわめき。父に連れられ、そぞろ歩くのが楽しかった。

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りんご飴はダメだったけれど、金魚をせがんで手にいれた。でも覚えているのは、金魚鉢を洗う時のぬめり、むっとするえさのふやけた残滓、糞の汚れ、鉢から飛び出てミイラ化した金魚。綺麗なだけではすまない、汚れと面倒くささと死が金魚の記憶にはついてまわる。

金魚は人為的な異形の魚で「自然」な存在ではない。人の手が加わり過ぎて変異度が上がるとグロテスクに禍々しくも感じられる。それでも、街場で育つ、行動半径の狭い子どもには、身近な「自然」であり、生と死を実感する入口の1つだ。自然と人間をつなぐ中間的な存在なのかもしれない。

1970年代の平井には、自然を感じられる場所が少なかった。公園は少なく、街なかは住宅とビルばかり、川沿いはコンクリの堤防とテトラポッド、雨の日はヘドロの匂いのするモノトーンな景色だった。

土や木々、水辺と切り離されると人の心は閉塞する。生活のなかに自然をミニチュア化して取り込もうとする。駅前広場では月例で植木市が開かれ、初夏にはつりしのぶや鉢物をリヤカーで商うおじいさんが現れ、5丁目にあった小鳥屋の店先でセキセイインコがさえずっていた。細々した路上園芸が路地を侵食し、水草を配した鉢や銭湯の中庭には金魚が泳いでいた。

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台湾、ベトナム、タイ、インドネシアなどの地方都市を歩いていると、当時の街角がデジャブのように現れ重なる瞬間がある。人の営みと街の活気とその狭間の気だるさが、1つのフレームに一緒くたに収まる感じだ。いまの平井にも、このアジア的なぬるま湯感は変わらず残っている。なくならないでほしいなあ、と思う。

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                (参考画像 香港の金魚販売)
(文責)津守恵子        

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