見出し画像

スペインのオムレツ 元気をもらったあの食事

大学入学してすぐ、スペインはバレンシア出身の先生が学部の新入生合宿でスペインのオムレツをつくってくれました。もっと昔は、パエリアを振る舞ってくださったそうです。

今でこそスペインバルなどで定番化していますが、90年代当時はスペインのオムレツは身近なものではありませんでした。卵、玉ねぎ、じゃがいも、塩だけを使ったシンプルなオムレツは、初めて見るもので、コショウやケチャップなどがなくてもとっても美味しくて、夜中に男子のつまみ食いを目撃したことも相まり、おもしろく、温かく、元気をもらう思い出です。

すぐに真似て家族や友人に「スペインのオムレツはこういうもの!」と得意げにつくりました。が、先生がつくってくれたぷるぷるの美味しいものはいまだにできません。
新入生に故郷の美味しいオムレツを食べさせようという先生と、新たな学生生活の希望に溢れていた私たちという再現不可能な状況でこその一皿だったなのかもしれません。

先月4月23日に93歳で亡くなられたという報を受け、当時の先生のように丁寧につくってみました。あせらず時間をかけるのが秘訣のようでした。
フライパンで玉ねぎとじゃがいもを焦げないように多めの油で揚げ焼き、卵を加えて弱火でじっくり焼いて、ゆっくりお皿を使ってひっくり返したらこんがり。。。
片面には焼き目がつかないようにしましたが、やっぱり同じようにはできませんでした。先生のオムレツには焦げ目がほとんどありませんでした。

表裏でこんなに差がでてしまった

オムレツの話はここまでです。

以下は先生との思い出です。長いです。

先生とは入試の2次面接で初めてお会いしたと記憶しています。
一通りのやりとりを他の先生と交わした後、先生は私の出身地だけたしかめて、にこりと穏やかに微笑まれたと同時にやわらかい綺麗な粒子が見えたような気がしました。歓迎されている、と直感し、きっとここに居場所ができるのだと根拠なく感じたことを鮮明に覚えています。こんな経験は今まで生きてきた中でも片手で数えるくらいです。

最後にお会いしたのは叙階50年のミサでした。
卒業後いつの間にかやりとりが途絶えていましたが、幸運なことに連絡をいただけて参加できました。
東日本大震災直後の心がざわついていた頃でした。
教徒ではないので躊躇していたら、隣の方が「大丈夫、せっかくだから行ってらっしゃいよ」と言ってくださり、先生に向き合うことができました。
目をしっかりみて「祝福を」と言ってくださった先生のまわりに、やっぱりやわらかい綺麗な粒子が見えた気がしました。

そこにいるだけで、目の前の人の心をふわりとさせてくれる方を他に知りません。先生の授業を受けたり、会話をしたり、それこそ近くにいるだけで気持ちがふわりと楽になり、充たされるので、なぜ先生はそういう存在なのかということについて深く考えることはありませんでした。

葬儀ミサをYoutubeで拝見しました。先生が来日された70年近く前に、こんな世界を想像できたでしょうか。

ある人の思想は、その著作だけでなく、生涯や後世の研究者の解釈を通して再発見されるものと思っています。
語られるエピソードは、まわりに対する深慮と寛大さはもとより、周囲の方も自分と遠からず同じように感じられていたとわかる、言葉だけでは表しきれない先生の存在についてでした。
新しいことを恐れず実行される、という私の知らない一面も語られました。
また哲学、ギリシャ・ラテン語の教授として大きな功績を残された一方で、後年「自らの中心にある使命は宣教であり、大学で教えることではない」と語られた、先生の神父としてのありかた、眼光に宿る真摯な生きざま、はっきりと目には見えないそういうものが、教徒ではない学生の気持ちをもふわりと掬ってくれていたのだと理解できました。

お別れのミサは、先生の身体がなくなっていくまさにその時、その存在感の秘密を教えてくださった、私にとっては「最後の授業」でもありました。

そしてひとつの「小さな奇跡」について。
先生の帰天は葬儀ミサ数日後に知りました。
普段ピアス以外のアクセサリーをつけることはほぼないのですが、その日「なにかものたりない」と、十字架モチーフのネックレスをつけました。ミサのことを知らぬまま、その日ずっと自分の胸に小さな十字架があった事実に驚きを隠せません。

偶々仕事仲間とボウリングに行くために動きやすい簡素な服を着たからなのですが、この「小さな奇跡」は私の心をやはりふわりと掬ってくれたのでした。

アモロス先生ありがとうございました R.I.P.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?