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自分史⑤ 《独立開業初期:開業準備》


内装はDIYで

ついに夢に見ていた、自分のお店のスタート!
fukadasoへは、一番に入居となりました。まだ誰も入居しておらず、はじめのうちは、夜の廊下が怖かったのを覚えています…。よく後ろを振り返って、背後を確認していました。でも、別に何も見えませんでした笑
お店の立ち上げは、母が愛知より駆けつけてくれ手伝ってくれました。豊洲のカリモクにソファを買いに行ってレンタカーで運んだり、表参道のHP FRANCE(アシュペーフランス)で全身鏡を買ったりなど、什器を揃えるのにいろいろなところへ駆けずり回りました。什器に関しては、街歩きが好きだったので、これまでにいろいろなお店に行って下調べをしていました。趣味でフラフラしていたのですが、『どんな街でサロンを構えよう』とか『こんな内装、すてきだな』とか『自分の店をゲットしたら、ここで家具を買おう』とか、妄想しながら散歩していました。結局そのカフェ巡りの趣味は、カッコよく言えば『マーケティング』とかいうやつだったんですかねぇ。
まぁそのおかげで、いざ始めようと思った時にはかなりイメージできていたので、店の什器あつめもそこまで苦になりませんでした。対して内装は、簡単でもいいのでしたかったのですが、十分な蓄えがなかった(それにいつまで続くかわからないと思っていた)ので、自分でできる範囲でDIYをしました。幸いにも、近所にギャラップというアンティークの古材を取り揃えるお店があったり(今は無くなってしまいました)、ホームセンターがあったおかげで、内装も材料集めに関しては苦戦はしませんでした。祖父が大工だったのでその血筋なのか、コーナンで電鋸借りてきて切ったり、木に色を塗ったり、トントンカンカン釘打ったり…と、自力でなんとかやりこなしました。とはいえDIYは素人なので、どうしても素人感は抜けなかったのですが、それでもお客様からは好評でした。


保健所の営業許可

一番ドキドキしたのは、保健所の訪問のとき。
鍼灸院を開業する際には、保健所に『施術所開設届』というものを出さなくてはいけません。待合の面積、施術室の面積、換気の設備などの規定があり、それを満たしているか、開業時に保健所の職員の方が実際に来てチェックしにくるのです。私の鍼灸サロンのイメージは、本来よりよくある真っ白な治療院ではなく、古民家カフェのような、インダストリアル風の居心地の良い空間をイメージしていました。
fukadasoは私のサロンのイメージにぴったりですが、そのインダストリアルが保健所的にアウトだったりして…と、一抹の不安を抱きながらのチェックだったのを覚えています。結果、その不安は取り越し苦労で、拍子抜けするくらい一瞬で終わりました。職員さんが帰り際に、『なんか昔の学校を思い出す〜』と言いながら帰って行ったのも覚えています。この保健所をはじめ、とにかく20代半ばでの諸々の届出申請は、本当に緊張するものでした。今となれば、年もとったし経験も積んだので、度胸がついたのですが、当時は何をするにも初めてのことばっかり。ましてや、役所系は敵だとも思っていたので余計に(笑)

商材の決定と仕入れ

保健所の営業許可も無事に降り、いざ営業スタート!
サロンの名前は、シェアサロン時代の名前の(nomad)を早々に削除し、spa Bricoとして再スタート!といっても、サロンをするにあたり、名前をつけて店内だけを整えるだけではスタートできません。その他、いろいろなことを準備する必要があります。これまでは勤めで入社したら仕事だけ覚えればすぐ発進できましたが、自分のサロンとなるとそういうわけにもいきません。全てを自分で決めないといけないのです。鍼の仕入れ先は以前に働いていたところで使っていたところがあったので、そこに問い合わせて新しく契約するなどして特に難しいことはありませんでした。ただ、私は美容と鍼灸を融合させたコースを設定したかったので、化粧品も準備する必要がありました。学生時代に自費で学んだツボを使ったフェイシャルトリートメントを自分なりに改良し、美容鍼灸と組み合わせて60分程度のコースをつくりました。ここまでは特に苦労はなかったのですが、コースに使用する化粧品選びに骨が折れる思いをしました…。化粧品は自分で気に入ったものを探して使用しようと思ったのですが、今後はサロンの責任は全部自分が背負うことになります。勤めでいた時には、やはり会社が後ろにいると思うと安心できた部分があります。ですが、今では自分で全て対応しなくてはいけなくなります。あってはいけないことですが、もしお客様に損害を与えてしまった場合には、私が償わなくてはいけなくなります。『もしかしたら当たり屋みたいな人が来て、ものすごい損害賠償を請求してきたらどうしよう…。』と何度も考えて、怖くなったこともあります。でも、その小さな確率を気にしてやりたいことを諦めるようなことはしたくありませんでした。なので独立開業の道を選んだわけですが、とはいえお客様のお肌トラブルにつながるようなものを使っては絶対いけません。いろいろ考えた結果、これまで勤めていた美容皮膚科と美容鍼灸院で長く使用していた商材を使用することにしました。いずれも私が施術する中でお客様のお肌が荒れたりしたケースは一度もありませんでした。これまでの経験が一番の安心材料だと思い、その商材に決めたわけですが、問題は美容皮膚科で使用していた化粧品会社のサロン商材。美容鍼灸院で使用していたものは、サロン商材の卸サイトから簡単に購入できるものでしたが、美容皮膚科で使用していた化粧品は直接その化粧品会社に問い合わせるしかなく、ドキドキしながら問い合わせをした記憶があります。偶然にも東京の支社が清澄白河から近く、実際に会社に訪問して直接卸をさせて頂く契約をしました。相手をしてくださった営業さんは、きっと20代の勢い余って開業した女を目の前に、半信半疑で対応してくださっていたでしょう…笑


コースと価格設定

合わせて、コースの金額を決めなくてはいけません。私は店長の経験はありましたが雇われ店長でしたので、そこまで経営というものを知っていたわけではありません。開業の前に『個人事業主開業虎の巻』みたいな実用書を何度も読んだくらいでした。なので、コースの金額設定はいわゆる相場より少し下げた設定をしました。私が前に勤めていた鍼灸サロンは、1回の施術が結構な高額でした。20代の私からしたら、『こんな金額では継続して通えない』とずっと考えていました。結果として、やはり1度の来店で来なくなってしまうお客様がほとんどで、そうすると自分のした鍼が効いたのかイマイチだったかもわからないままでした。そこにものすごく不満があったので、私のサロンでは通ってもらえるような価格設定をしよう、と思っていました。その時、私が考えたのは『1ヶ月定額制コース』というもの。今でいう、サブスクリプション制のコースです。10年以上前の話ですから、もちろん当時はサブスクリプションという言葉はありませんでした。私はこのコースをスポーツジムの会員制から着想を得たのですが、結果としてこのコースが当たりました笑。私はたくさんお手入れして結果を出したい、お客様はたくさん通って元を取りたい、と双方のニーズが合ったからでしょうね。コース料金は2回分くらいの金額で設定しました。『まぁ、3回くらいのご来店になるかな?』と思いきや、結果として4回はマストで来られる方がほとんど。当時は朝の10時から夜23時くらいまで予約が入るような状態になりました。今思えば、よくこんな働き方が続いていたな…と思います笑。
初期のコースはこのようなものでした。また、鍼灸ボディとフェイシャル+美容鍼灸のコース、2種類のみのシンプルなものでした。あまりたくさんのコースを作ると、自分でも管理するのが難しくなるし、お客様も選ぶのが難しくなると思ったからです。よくお客様に『ボディとフェイシャル、どちらのお客さんが多いですか?』と聞かれます。今でこそ半々ですが、当時は定額制がフェイシャルだけということもあり、圧倒的にフェイスのお客様が多かったです。私が鍼灸サロンで勤めをしていた時は、美容鍼灸のお客様はほとんどいませんでした。まだ美容鍼灸の認知があまりなかったのもありますが、その当時の客入りを知っているので、開業当時は『私は美容鍼灸サロンで食っていけるのか?』とよく不安になったのを覚えています。結果として、朝から日が変わる寸前まで働くことに。自分でも当時と比較して信じられないと思っていました。

集客と販促ツール

『どうしてそんなに集客できたの?』という声が聞こえてきそうですが、正直なところ、本当に大したことはしていません笑。基本のホームページは、シェアサロンで使用していた時のものを少し改良して使用していました。この頃は、まだ個人でホームページを作るのが難しい時代だったので、私もデザイナーさんにお願いして制作と修正をお願いしていました。でも、この頃から『いちいちお願いするのは面倒だな…』と考えていました。『やりたい!』と思ったら、すぐに動き出したくなってしまう性格の私は、『やりたい!』と思ってからデザイナーさんに投げて、それが上がってくるまでの時間がどうしても待ちきれませんでした。なので、この頃から自分でちょこちょこと独学でいろいろなものを駆使して販促物を制作していくようになります。ホームページはBloggerを使用し、テンプレートが気に入らなかったので適当にコードをいじりながら制作してみたり。ショップカードやチラシなども、自分で作るようになりました。使用していたのは、イラストレーター。これまでずっと、windows派だったのですが、たまたま弟がお古のMac bookをくれ、その中にイラレが入っていたので。イラレの使い方も誰かに教えてもらったわけでもなく、一冊の実用書を購入してわからないながらも時間をかけて作っていました。今考えたらダサいものばっかりなのですが、その頃からイラレを触っていたおかげで、今では比較的サクッとある程度のものは作れるようになりました。チラシもインスタの画像も、私はイラレを使っています。
そう。一ヶ月定額制で通ってくださっていたお客様たちは、そんな私が作ったダサいチラシを見て来てくださった方々です。fukadasoの1階に無造作にも置いておいただけなのですが、それでもたくさんの方の目に留まり、またお客様になってくださいました。正直、当時私がした販売促進活動なんてホームページと少しのSNS、そしてこのチラシくらいです。ポスティングもしようとしたのですが、『チラシ投入禁止!』『住人以外立ち入り禁止!』の看板が恐ろしく、小心の私にはできませんでした。なので、ほとんどがチラシのおかげなのですが、多くのお客様が手に取ってくださったのも、fukadasoの建物のポテンシャルのおかげでしかないと思っています。まだ今のような賑わいもなく、ブルーボトルもなかった頃の清澄白河に、いきなりできたあのエイジング加工されたトタンで覆われた建物は、相当に目立ったのだと思います。なので、私はだいぶラッキーでした!

私の初代Mac bookを記念に。
先日ようやくAppleに処分に行ったら、お兄さんに
『僕、このMac知らないです!』と言われました。
……ジェネレーションギャップを痛感…!!











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