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イメージの本

#イメージの本  を見てきた。 私は主語の認識が甘い。 いつも思い出をつめたガラクタボックスのなかになにかの反動でランダムに突拍子なく手を突っ込み、そこからただ触れただけのなにかをつかんで見せているみたい。イメージの断片しかない。そこには物語がなくて、起承転結もない。説明もできない。 それでも人と関わりたいし生きている限り何かしらの責任を積み重ねている自覚もあるけれど、イメージはどう共有できるんだろうなんて、考えたり考えなかったり。 するけど、すぐにそんなことを考えたことも

    • 花がない世界の詩

      夏は花が少ないことを知らなかった。床の間に飾る花がない。今年は猛暑で、梅雨入りも早かったから余計にそうなのだと知った。確かに、洋花は見かけるけれど野花はほとんど見かけないし、夏は確かに、思い出せば緑色だったと思う。 /"ない"ことに気づく時ってどんなときだろう。 プルースト。車両の窓から見える、なぜか気になる、過ぎ去って行く、もう二度と会えない三本の木。 あのとき追い払ってしまった人。気になり続けてしまうこと。無意識に探してしまうもの。 "もし、あの時---"  残っている

      • 出会うことと救われたこと

        大事にしたい言葉を持っている。「たしかにそこにいるけれど、そこにいない」という言葉と、「それでも悲しむことはない」という言葉だ。いつから持っているのかは覚えていないし、自然と思っていたのかもどこかで見かけた言葉なのかもわからない。だけど、気がついたら自分の中に残って消えない言葉になっていた。 この言葉をたどっていたら、後から、「たしかにそこにいるけれど、そこにいない」というのは偶有性の話で、「それでも悲しむことはない」というのはニヒリズムと戦う話なのかもしれないと気づいた。

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