ミッドナイトスワンと児童虐待

この映画がいかに素晴らしいかはあちこちで書き尽くされてるし、ジェンダーについても理解が深まったのは凄いことだと思う。役者草彅剛は最初からとても好きだったのでなにかを極めた役者の本領を見られてとても良かった。

私はもう家庭も子供も持ったけどかつては虐待児童だった。(これはなんと呼ぶのか?被虐待児童?虐待され児童?)

丁度一果とお金持ちのりんちゃんの両方をMIXした様なかたち。暴言、放置、なぜか良い家には住んでるけど精神的ネグレクト。父はアルコール依存症と精神的な病を同時に発症した様な状態。小学2年生の頃真っ暗な住宅街に飛び出して着の身着のまま暴れる親から逃げて誰もいない夜の静かな家々を眺めてた。親は良い服を着てるのに真冬に朝は冷たい冷やご飯と冷たいカマボコ三切れを震えながら食べ薄いカーディガンを着てまたガタガタ震えながら登校してた。学校で「頭臭いよ」と言われたけどそう言えばシャンプーはどのくらいの頻度でしてたのだろう。思春期に自傷行為も始まった。

親への非難は書かない。一果の母がそうだった様に親もなりたくてなったのではないから。私はとうに許してるしこだわって自分の人生を暗くしたくない。

ミッドナイトスワンでは一果ちゃんのバレエに注目が集まってるけど彼女のリストカットの様な行為や無表情、愛情がわからない。これは虐待された子供の特徴で私も一番困ったのは人の思いやりや愛が分からない。自分を思ってくれてる人がいてもどう振舞って良いかわからない。共感と言うものがない。そんな事だった。丁度経済も成長期で世間が華やかで浮かれてる中自分とのコントラストが違いすぎて一人違う世界にいる様な、それこそ映画を見る様な感じ。

世の中のほとんどの一果には実は凪沙はいいない。死ぬほどの愛情をかけてくれる人不在で人生は続く。

ただ、私にも一果と唯一同じ事が起こった。音楽をやっていのだ。クラシックピアノを弾きアコースティックギターで洋楽を歌いそこにしか自分の救いが無かった私は取り憑かれた様に弾いて歌った。

そしてブラックホールの様な世界から光のある場所へ立つ時間が増えたいった。

一果を見ていてまるで自分の人生を見ている様だった。助けてくれる愛ある人はいる。でも愛というものを教えてもらってないとどうしてもそれがわからない。

天はそういう人間を救い繋ぐために音楽やバレエや芸術を与えてくれたのではないかと思う。決して名声やお金を得るためのものではない。

私は普通の母親になれた。子供を虐待せず成人させられた時「虐待の連鎖を切れたのだ」と。音楽のおかげか子供の可愛さかわからないけど普通の家の普通の母になれた。それこそ凪沙の中にもあった母性が私を正気にさせてくれたのかも知れない。一つ間違えばりんちゃんになってたかも。りんちゃんが何を失ったのかも痛いほどわかった。

悲しい子供たち-もし凪沙に会えなくても会えてその愛がわからなくても救いの場所はある。それは自分で探すもの。いや、偶然やって来るかもしれない。

世界中の一果に天からの贈り物がやって来る様にと願わずにはいられない。

虐待やいじめで人生をふいにしないでほしい。救われた人間がここにいるのだから。




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